☆ロタキサン(2)〜分子マシンへの挑戦〜

 前回までカテナンロタキサンといった、「つながっていないが、外れもしない」分子を紹介してきました。これらは当初化学者の興味から合成された化合物ですが、近年この性質を利用した「分子マシン」の構築が盛んに試みられています。マシンというからにはただ好き勝手に動くのではなく、外からの制御に従って動作することが条件です。ではこのシステムをどう実現するか――。まずはこのジャンルの第一人者、オリンピアーダン分子ボロメアン・リングの合成などで何度かこのページにも登場願っている、J.F.Stoddart教授の研究をご覧いただきましょう。

 まずカテナン・ロタキサンの合成法をおさらいしておきましょう。といっても原理は単純で、要するに輪の形の分子にひも状の分子を通し、ひもの両端を結び合わせればカテナンに、抜けないように両端にストッパーをつければロタキサンになるわけです。しかし偶然にひもが輪をくぐる確率は非常に低いので、何の工夫もなく実験していたのではただの輪っかがたくさんできるだけで終わります。そこでいったんひもを輪に「仮止め」しておき、それからゆっくりと両端を結ぶなり、ストッパーを取りつけるなりするという方法が考えられました。

 この「仮止め」に、ケタール結合と呼ばれる外れやすい結合を使ったのがSchillらのグループ、金属イオンを用いたのがSauvageらのグループで、これによって合成効率は数十倍にも向上しました。これに対してStoddartは、プラスとマイナスの電気が引き合う力を利用することを考えたのです。

 ロタキサンの「輪」として彼らが使ったのは、「パラコート」(下左)と呼ばれる分子を2つ輪につないだもの(下右)です(ちなみにパラコートはいわゆる「活性酸素」を効率よく発生させる性質があり、これによって草を枯らすのでよく農薬として用いられます。人体への毒性も高く、「農薬を飲んで自殺」という場合使われているのはたいていこのパラコートです。というわけで最近は低濃度のものが市販されています)。

paraquat(左)とそれを輪につないだもの(右)。プラスの電荷を持つ。

 さてこのリングの4つの窒素原子(青)はそれぞれプラスの電荷を持っており、輪の大きさも適当ですので、内部にマイナス電荷を取り込みやすい構造です。これを利用してまず下のようなロタキサンが合成されました。

赤が酸素、青が窒素、水色がケイ素、他は炭素。

 プラスの電荷を持つ環(黄緑)が、電子(マイナス電荷)をたくさん持つビフェニル部位(黄色)を捕まえることによって「環」に「糸」が通りますので、その後で両端にストッパーを取りつければ環が抜けなくなるという仕掛けです。

これだけでも面白い成果ですが、Stoddart教授はここからさらに一歩を進めました。プラスとマイナスの電荷の切り替えができる「糸」を使えば、電気の反発力と吸引力によって「環」を動かすことができると考えたのです。

 それを実現したのが下の図です。このロタキサンには「糸」にあたる紫の分子に、2ヶ所のビフェニルユニットが含まれています。左のビフェニル部分には窒素が直結しており、塩基性(アルカリ性)の状態では強くマイナスの電荷を帯びていますが、酸性になると水素イオンがくっつき、プラスの電荷を帯びることになります。つまりパラコートのリングは、塩基性の状態ではプラスとマイナスで引きつけ合って左に、酸性ではプラスとプラスではじかれて右に移動するということになります。

pHで制御できる「分子シャトル」。

 この化合物は、外からの制御によってリングを左右往復させることができるので「分子シャトル」と呼ばれます。この他にも電気化学的な制御により高速で移動する分子機械が発表されています。

この動きはちょっとそろばんの珠を連想させますが、実はこれを応用してそろばんではなく「分子コンピュータ」を作ろうという研究がなされています。現在のシリコンチップに基づいたコンピュータはあと数年で小型化の限界に行き当たることがわかっていますが、分子コンピュータは(原理的には)シリコンよりはるかに高密度に回路を詰め込むことができるため、各社が競って研究を行っています。まだまだ分子コンピュータは実用化にはほど遠い段階ですが、ロタキサンを忙しく往復させながら計算を行うコンピュータを想像するとちょっと愉快になります。詳しい原理についてはこちらをどうぞ。

 

 さてStoddart教授の最新作は「分子エレベーター」です。下のようなクラウンエーテル環を3つ持った大がかりな分子(黄緑)が、酸・塩基の切り替えで上下する仕掛けです(Science 2004, 303, 1845)。「エレベーター」の釣り上がる力は1分子あたり200ピコニュートンほどと見積もられていますから、相当にパワフルなエレベーターといえそうです。

分子エレベーター。塩基性状態では下に、酸性状態では上に引き寄せられ、クラウン環(緑)が上下する。

 また分子エレベーターの脚の部分は、環が上がった状態ではぶらぶらと開いていますが、下がると3本がキュッと引き締められ、間に小分子を挟み込むようになります。これを利用して酸・塩基の切り替えでものをつまんだり離したりできる「分子ピンセット」などもできそうで、面白い応用が期待できそうです。


 以前紹介した「分子モーター」の作者であるJ.-P. Sauvage教授も、最近「分子筋肉」と呼ばれる二重ロタキサン分子を発表しています。下に模式図を示します。

黄色の△はピリジン環、青の球は銅イオン、紫の球は亜鉛イオンを表す。

 「6」の字型の分子のリングに2つ、鎖の途中に合計5つのピリジン環が仕込まれています。銅イオンにはピリジンが4つ、亜鉛イオンの場合5つくっつくことができますので、加えるイオンの種類によって分子全体の伸び縮みが制御できることになります。いちいちイオンの入れ替えをしなければならないのが難点ですが、これも今後の進展が楽しみな研究です。


 実は天然にもロタキサン構造を持つ「分子マシン」は存在しています。DNAポリメラーゼという酵素がそれで、生命活動に不可欠なDNAの複製を担当する酵素です。DNAポリメラーゼは長いひも状のDNAの周りを包むようにして捕まえ、端にひとつひとつ核酸塩基を取りつけてDNA鎖を伸ばしていくという作業を行います(カリフォルニア大学サンディエゴ校のサイトでこの動画を公開しています。動きがわかりやすく面白いのでぜひご覧下さい)。

大腸菌DNAポリメラーゼ。1本鎖のDNAに相補的な鎖を継ぎ足し、2重らせんを作る。

DNAポリメラーゼは単に鎖をつなげてゆくだけでなく、鎖を移動しながらコピーミスがないかを自らチェックし、ミスを発見するとそこを切断して正しい塩基に取り替えるという恐ろしいほどの精密な動作をやってのけます。コピーミスを犯す確率は10億分の1ほどで、数多い酵素の中でも最も精確なものとして知られています。逃がさないようにDNA鎖を取り囲み、全方位的にきっちりと認識するその形状こそが、その精確な動作の源といえるでしょう。

 

 さて、最近この酵素の働きをヒントにした人工の分子マシンがオランダのNolteらによって発表されました。今までの外部からの制御で動くようなタイプとは違い、外の「リング」が中の「ひも」を効率よく化学反応させるという分子です(Nature 424, 915, (2003))。

 彼らがモチーフとしたのはマンガンポルフィリン錯体という分子です(下図)。中央のマンガン原子(灰色)に酸素(赤)がついていますが、ここに炭素-炭素の二重結合を持った分子が近づいてくるとこちらに酸素を受け渡し、エポキシドと呼ばれる3員環の化合物を作るのです。

マンガン(III)ポルフィリン錯体によるエポキシ化反応。

 彼らはこのポルフィリンに大きな覆いをつけた、大きなドーム状の分子を合成しました(下図、オレンジ色)。ここに「ポリブタジエン」(水色)という、二重結合をたくさん持った「ひも」を通してやると、分子マシンはひもの上を移動しながら二重結合を次々に酸化してゆくのです。「ひも」が逃げられないよう捕まえていますので、「覆い」のないただのポルフィリンの場合に比べ、数十倍も効率よく反応が進行します。

こうしたアイディアはこれまでも出されていましたが、現実に高効率のマシンを作って見せたのは今回が初めてです。今後、精密な機能を持つ触媒の設計に、重要な示唆を与える実験といえそうです。

二重結合を次々にエポキシ化してゆくポルフィリン錯体。


 いくつかロタキサンを基本とした分子マシンを紹介してきました。とはいえ見ての通り分子マシンは「機械」としてはまだまだ基本段階、スイッチや歯車のような基本部品がようやく作られた程度でしかありません。天然の分子マシン・DNAポリメラーゼの恐るべき精密さと比べれば、人工の分子マシンはようやく石器時代を脱した程度のところかもしれません。

 とはいえこうした研究は現在最も進展が著しく、まさに科学のパイオニアといえる領域です。人類はこの先何年で、酵素と肩を並べる分子マシンを作り出せるか――。おそらく化学だけでなく、分子生物学やタンパク工学など多くのジャンルの科学者との共同研究、違う考え方の融合による刺激が不可欠なのではないでしょうか。精密かつ超コンパクトな機械の実現に向け、今後の展開に大いに期待が持てる分野なのは間違いなさそうです。

 

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