☆窒素はどこまでつながれる?

 有機化学という一大ジャンルの主役となる元素は、もちろん炭素です。周期表を埋める100あまりの元素のうち、炭素だけが長くつながり、他の元素とも手を取り合って多彩かつ安定な分子を作り出せるからです。

 では他の元素、例えば周期表で炭素の隣を占めている窒素ではどうなのでしょうか?残念ながら窒素同士は炭素ほどに長くつながることができず、数個つながっただけで不安定になってきます。このため窒素は炭素のように複雑な分子を作り出すことができず、当然窒素をベースとした生命などというものも考えられません。

 では窒素同士の結合はなぜ炭素同士のそれに比べて不安定なのでしょうか?これは窒素が炭素と違い、「非共有電子対」を持つことが原因です。例として、それぞれ炭素・窒素同士が2つがつながったエタンとヒドラジンという2つの分子を比べてみましょう。

左がエタン、右がヒドラジン。灰色が炭素、青が窒素。オレンジの楕円は非共有電子対。

 エタン分子の中の外殻電子は全てが水素との結合に過不足なく使われているのに対し、ヒドラジン分子では2つの窒素上にそれぞれいわば余り物の電子(非共有電子対)が存在しています。これらはむき出しのマイナス電荷を帯びていますから互いに反発し、結果として窒素−窒素結合を炭素同士のそれに比べて不安定にします。窒素が長く連なればこの反発はさらに蓄積され、どんどん不安定になっていくわけです。実際ヒドラジンも濃度100%のものは爆発性を持つ危険な化合物で、ロケットなどの燃料にも用いられるほどです。

 同じような理由で、酸素2つが単結合した化合物(過酸化物)も反応性が高く、取り扱いには注意を要します。N-N, N-O, O-Oなどの結合を含む分子はほとんどが不安定で、潜在的に爆発性があると思って間違いありません。以前取り上げたニトロ化合物などもこの範疇に入れられるでしょう。


 ではさらに窒素をつなぐとどうなるか?単結合で窒素が3つつながった化合物というものは筆者の知る限りありませんが、二重結合を含んだものは知られています。二重結合になると非共有電子対の張り出しが小さくなり、反発力が弱まるためです。以前取り上げたアジドなどもこの一つです(しかしやや安定とはいえ、衝撃や重金属などの存在下ではやはり爆発を起こします)。

アジ化ナトリウム(緑はナトリウム)

 4つ窒素がつながった化合物にはテトラゾールというものがあり、5員環の中に4つの窒素原子が組み込まれた化合物です。これはベンゼンなどと同様「芳香族性」を持つためこの種の化合物としてはかなり安定ですが、それでもものによっては爆発性を持ちます。ある種の誘導体がエアバッグの起爆剤に用いられていることは以前も触れた通りです。

 ちなみにテトラゾールの窒素にについている水素原子は陽イオンとして外れやすく、このためテトラゾールはカルボン酸とほぼ同等の酸性を示します。カルボン酸を持った医薬の候補分子に、代わりにこのテトラゾールを入れてやると、同等な活性を示しながら吸収性などが改善されることがあります。このため医薬ではこのテトラゾールユニットを持ったものがかなり数多く見られます(もちろんこれらには爆発性はありません)。

降圧剤バルサルタン。右下ユニットがテトラゾール。

 では5員環を全部窒素にしてしまった「ペンタゾール」(HN5)というものはできるのか?さすがにこれは無理だろうと思っていたら、実はすでに合成されているのだそうです。ただしさすがに安定に単離というわけにはいかず、-40度では存在できるものの温度を上げると簡単に分解してしまうそうです(Chem. Comm. 2003, 1016)。

ペンタゾリル陰イオン(N5-

このペンタゾールはN5-という陰イオンになりますが、N5+という陽イオンも合成されています(Angew. Chem. Int. Ed. (1999) 38, 2004)。理論計算によるとこのイオンは直線ではなく、なだらかな山型になるのだそうです。合成法を見るとアジ化水素やらフッ化水素やらヒ素やら毒物・危険物がいろいろと使われており、できたN5+AsF6-という塩もちょっとした衝撃で大爆発を起こすということで、正直間違ってもやりたくない実験です。こうした高エネルギー化合物はロケット燃料や爆薬の基礎研究として重要なのですが、よくもまあこんな恐ろしいことをするものです。

N5+陽イオン

 この他窒素だけでできる分子として、理屈の上では下のようなN4, N6, N8, N10などが考えられ、安定に存在できるかどうかの理論計算も行われています。いずれにせよ窒素分子(N2)が非常に安定ですので、ここに落ち着こうとする力が強く働き、分解しやすいことは容易に予想がつきます(こうした分子はキュバンのように実際に合成されてみると案外安定だったりすることもあるので、なんとも言えないところではありますが)。

 フラーレンC60と同じようなN60という分子は存在しないのか?これも理論計算がなされていますが、フラーレンのようなきれいな球形にはならず、デコボコの不定形になるという予想もあります。といっても、こうなると一体どうやって合成すればいいのか見当もつきませんが……。

 この他、先ほどのN5+という陽イオンと、アジド(N3-)またはペンタゾール(N5-)を組み合わせれば「純粋に窒素原子だけから成る塩」ができるはずです。といっても実際にこの実験をすると何が起こって何ができるのか、まああまり自分でやってみたくはない反応ではあります。

 ということで窒素をつなげるのは実際には5つまでが限界――なのかと思っていたら、最近になって究極の窒素化合物というべき物質、「ポリ窒素」がドイツで合成されました。窒素を1700度、110万気圧という猛烈な条件で圧縮することにより、窒素が3本の腕で蜂の巣状のネットワークを作ることが確認されたのです(図はこちら)。

 このポリ窒素は、核兵器を除いた最強の爆薬に比べても5倍以上のエネルギーを持つと考えられています。ちなみに1937年に出版されたSF小説「レンズマン」に「純粋に窒素のみから出来ていて、核に次ぐ威力を持つ爆薬」というのが出てくるそうで、70年越しでこれが実現されたともいえるでしょうか。偶然なのかもしれませんが、SF作家の想像力というのは凄いものです。

 それにしてもこのポリ窒素の性質は、同じく高温高圧下で作られる炭素の結晶・ダイヤモンドがこの世で最も硬く、安定な物質であるのとはあまりに対照的です。こうして見てくると、長くつながって複雑な化合物を作り出すという点において炭素という元素の性質は極めて異質であり、窒素や酸素はそれを支える名脇役の座にとどまるようです。今我々が見るこの豊かで複雑な世界があるのは、炭素という特異な元素がこの宇宙に存在したこと、そしてそれが大量にこの星に集まってきてくれたこと、という2つの奇跡に支えられていることを改めて思わされます。

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