☆アジドの話

 何千万という化合物には、性質も用途も様々なものがあります。中には猛毒で爆発性があり、非常に扱いにくいがそれゆえに有用――という化合物もあります。今回はそんなアジド化合物の話。

 アジドは-N3という構造を持った化合物の総称で、3つの窒素は一直線ではなくほんの少し曲がって(172度)並んでいます。N3という単位は陽イオンと結びついて塩を作ることもできますし、炭素とくっついて有機化合物の一部に組み込まれることもあります。

アジ化ナトリウム(青が窒素、緑がナトリウム)

 普通、窒素は3本の結合の腕を持ちます。見ての通りアジド化合物には腕が2本と4本の窒素が含まれており、この原則に合っていません。正確にいえばアジドは、下の図に示す2つの構造の中間的な構造をとっていると考えられています(共鳴構造といいます)。

 このように普通の構造式で表せない化合物には、不安定なものが少なくありません。アジドもまた例外ではなく、ものによっては強い爆発性があります。特に重金属のアジ化物は極めて危険で、アジ化ナトリウムなどをステンレスの薬さじですくい取るだけでも爆発を起こすことがあります。このためアジドの秤量には、プラスチックやシリコンでコーティングされた薬さじを用いるべきとされます。

 またアジ化物イオンは一酸化炭素などと同様、ヘモグロビンの鉄原子に強く結合して酸素の運搬を阻む性質があり、このため青酸カリに匹敵する毒性を持ちます。1998年、各地でポットの湯などにこのアジ化ナトリウムを混入する事件が相次いだことをご記憶の方も多いでしょう。この事件以降アジ化ナトリウムは規制が強化され、「毒物」として厳重な管理下に置かれることになっています。

血液中で酸素(赤)を運搬するヘム。アジドは鉄(灰色の球)に強く結合し、酸素を運べなくする。

 というわけでアジドはなかなか厄介な化合物なのですが、逆にその性質を生かして人命を守る用途も拓かれています。交通事故を起こした時にハンドルなどから飛び出し、クッションとなって身を守ってくれる「エアバッグ」に、アジ化ナトリウムが使われているのです。

 車が衝突してから頭や腹を打つまでは一瞬ですから、エアバッグは数十分の一秒、文字通り爆発的なスピードでふくらんでくれないと間に合いません。事故が起きるとバッグ内に詰められたアジ化ナトリウムに電気点火され、これが爆発分解して窒素ガスを放出します。この窒素ガスがバッグをふくらませ、身を衝突の危険から守ってくれるというわけです(ただしアジドは前述したような毒性の問題もあるため、近年の日本車ではアジ化ナトリウムはもはや使われておらず、代わりにテトラゾールの誘導体などが使われているということです)。

最近のエアバッグに用いられるアミノテトラゾール(左)、アミノグアニジン(右)。

 余談になりますが、アジドを含め窒素がたくさんつながった構造の化合物は、爆発性の強いものが少なくありません(上図、青が窒素原子)。意外なところでは、アミド合成に汎用されるHOBtという試薬なども、融点(158度)付近まで加熱すると強い爆発を起こすことがあります。このため高温で反応を行う必要がある場合には、無水ではなくHOBtの一水和物を用いるのが安全とされます。日常的に何気なく使っている試薬にも、危険なものがあるという一例です。

1-ヒドロキシベンゾトリアゾール(HOBt)。活性エステル合成に汎用される。

 さてもうひとつ生命を守るアジド誘導体の例として、アジドチミジン(AZT)を挙げておきましょう。これはエイズウィルスの増殖を防ぎ、発症を抑え込む薬剤です。

アジドチミジン(AZT)。化合物名はジドブジン。

 これはDNAを構成する4種類のパーツのひとつ、チミジンの水酸基の一つがアジドに置き換わっただけの構造です。本来チミジンなどの核酸は2つの水酸基を「腕」として互いに長くつながり、DNA鎖を形成します。エイズウィルスは増殖の際、自らのDNAのコピーをたくさん作ろうとしますが、AZTは本物のチミジンに紛れ込んでそのDNA鎖に取り込まれてしまうのです。しかしAZTでは「腕」の一つがアジドに置き換えられてしまっていますから、AZTを取り込んだDNA鎖はそれ以上伸びることができず、結果としてウィルスの増殖を抑え込めるというメカニズムです。

 ただしAZTの難点は、エイズウィルスのDNAだけでなく、薬を服用している人のDNA合成をも分け隔てなくストップしてしまう点です。このため副作用もかなり強いのですが、近年ではHIVプロテアーゼ阻害剤など他のタイプの薬剤と併用することによって投与量を少なくし、発症を抑える治療法が確立しています。

HIVプロテアーゼ阻害剤インジナビル

 次回は有機合成の世界におけるアジドの話を。

 

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