フラーレンことC60分子が、化学的にも物理的にも非常に面白い性質を持っているのは何度も書いてきた通りです。これらの特性は、本来平面であるべき芳香環が、球状にひずんでいることにより発現しているといえるでしょう。となればフラーレンの一部だけを切り出した形の部分構造もまた、ただの芳香族とは異なる面白い性能を持つことが期待されます。
こうしたフラーレンの一部を切り取った基本構造には、2通りが考えられます。ひとつは5員環を中心としたコランニュレン構造(下左)で、これはフラーレン発見よりはるか以前、1966年に合成が達成されています。しかしもう一方の6員環を中心とした構造(下右)の方は、スマネン(「suman」はサンスクリット語で「花」の意)という名前だけが先に与えられたものの、最近に至るまで実際の合成は達成されていませんでした。
ところが2003年になり、平尾・桜井らによって極めて巧妙なスマネンの合成が発表されました。ノルボルナジエンという分子を3つ環につなぎ、3ヶ所の二重結合をオレフィンメタセシスで組み替えて一挙に骨格を作り上げ、最後に脱水素を行ってスマネンへと誘導するというものです。わずか3〜4段階の通常の反応だけで今まで難しかったスマネンを作ることに成功しており、合成化学者なら誰もが「うまい!」と唸ってしまうようなエレガントな合成ルートです。この研究は各方面で高い評価を受け、世界最高峰の学術誌「Science」掲載という快挙を成し遂げました。これは単なる有機合成の論文としては極めて異例なことです(Science 2003, 301, 1878)。
最近になってスマネンの詳しい構造解析がなされ、結晶中でスマネン分子は皿が積み重なるような形に詰まっていることがわかりました。この構造ではπ電子が相互作用するため、何らかの面白い電子的性質が期待できそうです。
また、スマネンの5員環に付いた水素原子は反応性が高いため、ここを足がかりとして様々な置換基を取りつける可能性が広がっています。普通には手に入らないフラーレン誘導体を合成するためのマイルストーンとして、スマネンの化学は非常に面白い可能性を秘めていそうです。
フラーレンの場合がまさにそうですが、こうした研究では安定して化合物が得られる方法が確立されて初めて一気に進展があるものです。理論予測も面白いけれど、化学者はやはりモノを取ってなんぼだな、ということを改めて思わされる研究です。
J.Am.Chem.Soc. 2005, 127, 11580 H. Sakurai et al.
関連項目:フラーレンの全合成