☆炭素の四角形

 以前「炭素のトライアングル」と題して、3員環を持つ化合物の話題を取り上げたことがあります。今回はその続き、4員環を持つ分子シクロブタンについて書いてみましょう。「シクロ」は「環」のこと、「ブタン」は炭素4つでできる分子の名です。

 何度か書いている通り、炭素の結合の腕が出る角度は109.5度くらいが一番安定です。シクロブタン環ではこれが90度付近にまでねじ曲げられてしまいますから、相当にひずんで不安定であることになります。このひずみを少しでも解消するため、シクロブタン環は平面正方形ではなく、横から見るとちょっと「く」の字に曲がった形をとっています。

シクロブタン環。上から見たところ、横から見たところ。

 ひずんでいるといっても60度のシクロプロパンよりはだいぶましだろうと思えますが、実は詳しい理論計算をすると両者のひずみエネルギーはあまり差がありません。さらに4員環を作る効率的な反応は少ないため、小さい環の中では最も作りにくく、合成化学者にとってはなかなかやっかいな存在です。

 人間が作り出しにくいものはやはり天然でも作り出しにくいものらしく、4員環を持つ天然物はテルペン類と呼ばれるジャンルの化合物などにわずかに例が見られるに過ぎません。また下に示す通り、シクロブタン環を含む化合物はなんだか奇妙な骨格を持つものが多いように思えます。

昆虫フェロモンgrandisol(左上)、松葉の香りαーpinene(上中)、集合フェロモンlineatin(左上)、カビ毒penitrem(下)

 エンディアンドリン酸はオーストラリア産の植物から抽出された成分で、これも4員環を含む複雑な骨格を持っています。これらは極めて異例なことに、天然からラセミ体(右手型と左手型のものが1:1で混ざったもの)として得られてきました。天然物はキラルな酵素によって制御されて作られるため、まずほとんどはどちらか一方だけが得られてくるものです。考えられることは、まず不斉点のない分子が生体によって生産され、これが体外で「自然に」巻き上がってこのような構造に変化しているということです(不斉、キラルといった言葉に関してはこちらをご覧下さい)。

endiandric acid B,C,F。すべて天然からラセミ体として得られた。

 1982年、Nicolaouは実際に植物が作っているのは下のような直線状の分子であると推測し、実際にこの分子を合成して、これが自然に環化して上のような複雑な骨格に変化することを実証して見せました。現代の天然物全合成の第一人者Nicolaou教授の、いわば出世作になった研究です。専門の方はどうしてこうなるか考えてみて下さい。大学院レベルの方にはなかなかよい練習問題であると思います(J. Am. Chem. Soc. 1982, 104, 5555)。

さて「炭素のトライアングル」の項目では「最近になってこのシクロプロパンをずらずらとつなげたような化合物が天然から見つかり、有機化学者たちを驚かせました」と書きましたが、実はシクロブタンの方でも同じことが起こりました。ある種の細菌の細胞膜から、シクロブタンを直列につなげた構造を含む奇妙な分子が見つかったのです。

アンモニアを酸化する嫌気性菌の細胞膜から発見された脂質の一種。

 細菌たちも伊達や酔狂でこんな合成に手間暇のかかる変な化合物を作っているわけではなく、これらは毒性のある化合物を外部に漏らさないための、しっかりした膜の形成に役立っていると考えられています。それにしてもこんな化合物まで存在しているとは、やはり自然の懐は深いと思わざるを得ません。


 しかしこういう厄介な構造となると合成してみたくなるというのが化学者の常であるようで、こうした4員環を含む化合物は合成ターゲットとしてなかなか人気があるものばかりです。数少ない4員環を作る方法のうち、最もよく使われているのは[2+2]付加環化と呼ばれる方法で、二重結合を含む分子に光を当てると、2分子がくっついて4員環化合物に変化するというものです。

 余談ながらこの反応は、人間の健康に影響を及ぼすことがあります。DNAの構成成分であるチミンは光を当てると[2+2]付加反応を起こし、2量体を作ることがあるのです。こうしてDNAが破壊されると細胞分裂の際に正しい遺伝情報を伝えることができず、悪くすれば癌が発生するようなことも起こります。強烈な日光を浴び続けると皮膚癌になりやすいというのは、こうした理由によっています。

 というわけで4員環を含む化合物の合成例を一つ紹介しましょう。カリオフィレンという化合物はチョウジの精油成分として得られたものですが、下に示す通り4員環と9員環がくっついた構造を持ちます。一般に、5・6員環は作るのが簡単ですが、7・8はとたんに難しくなり、9員環は最難関とされます。その9員環にトランス(ジグザグ型)の二重結合が含まれ、さらに厄介者の4員環がくっついているのですから、専門家の目からは「こんなものをどう作ればいいんだ」と頭を抱えたくなるような実にろくでもない骨格です。

caryophyllene

 これに挑み、征服したのが先のNicolaou教授の師にあたるCoreyらのグループで、1963年のことでした。彼らは簡単に手に入る6員環にまず光反応で4員環を付加させ、さらに5員環を取り付けました。そして最後に6員環と5員環の間仕切りとなる結合(黄色)を切り離すという手段で、現在でも合成の難しい9員環を形成することに成功したのです。20世紀の有機化学界の最高峰として君臨してきたCorey教授の、これも出世作となった研究です(J. Am. Chem. Soc. 1964, 85, 362)。

カリオフィレン骨格の合成ルート

 このように作りやすい小さな環をつなげて大きな環を作る手法は今でもよく使われます。「困難を分割せよ」とは哲学者デカルトの金言ですが、有機合成の世界でもこの言葉は極めて有効です。

 というわけで次回は人工のシクロブタン分子の話を。

 

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