☆炭素のトライアングル

 最近少々難しい話が続いたので、今回は気楽に眺められる題材にしてみましょう。炭素の作る三角形、シクロプロパンの話。

 「プロパン」といえば燃料の名前としてみなさんもよくご存じと思いますが、これは炭素が3つ直線につながった化合物です。「シクロ」(cyclo)という接頭語は「環状の」という意味を表しますので、シクロプロパンといえば炭素が三角形につながった分子ということになります。まあ味気ないネーミングではありますが、正確さ、統一性を重んじる学術用語としてはやむを得ないところです。

cyclopropane

 本来炭素の結合角(腕と腕の角度)は109.5度くらいがもっとも安定とされます。ところがシクロプロパンではこれが60度にまで狭められているので、かなりひずみがかかっています。このため3員環を作るには少々工夫を要し、また4員環以上の環にはない独特の反応をすることが知られています。

 このためなのか、天然の動植物が生産する化合物の中にはシクロプロパン単位を含むものはあまり多くありません。下にその例としてピレスリン、プタキロシド、デュオカルマイシンを挙げておきます。ちなみにこれらはそれぞれ殺虫性、発癌性、抗腫瘍性という生理作用を示しますが、その発現にシクロプロパン部分が大きく関わっていることがわかっています。

上からpyrethrin、ptaquiloside、duocarmycin。シクロプロパンユニットを緑色で示す。

 ところが最近になってこのシクロプロパンをずらずらとつなげたような化合物が天然から見つかり、有機化学者たちを驚かせました。これらはそれぞれ別々の製薬会社で、違う生理活性を持つものとして発見されてきた化合物ですが、立体配置も、一つ間が空いているところもそっくりです。自然というのは、ときどき人間の想像のつかないようなものを作り出すことがあるという好例といえます。

FR900848(上)とU-106305(下)

 

 有機化学者だって負けてはいません。こうした高ひずみ化合物は化学者たちの挑戦意欲を誘うようで、様々なシクロプロパン誘導体が産み出されています。

トップバッターは正三角形4枚から成るテトラヘドラン(上左)です。ただしこの化合物は大変に不安定で、他の分子とすぐに反応して壊れてしまいます。これを防ぐため各頂点に大きな「覆い」を取り付け、ようやく単離に成功しています(右)。

正三角形を6つ輪につなげばイスラエルの国旗にある「ダビデの星」の形(下左)になるはずです。このような化合物も合成されていますが、実際にはこの分子は平面には納まらず、右下図のように三角形が互い違いに並んだものになるそうです。この化合物はその名も「ダビダン」と名付けられています。

   

davidane

 この後はややこしい解説抜きのトライアングル・ギャラリーと行きましょう。この分野で大きな足跡を残しているのはde Meijere教授で、彼の研究室からはさまざまな美しいトライアングル化合物が世に送りだされています。

 de Meijere教授の計算では下のような分子も安定に存在し得るといいます。特に右の分子は三角形20枚からなる見事な構造です。性質にも興味が持たれますが、合成はいつの日になるでしょうか?

 

 自然の作り出す化合物も美しく驚きに満ちていますが、人工の化合物もまた造形の妙を感じさせるものばかりです。有機化合物の世界の限りない広がりに歯止めをかけるものがあるとしたら、それは人間の想像力の限界だけということになるのかもしれません。

 

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