☆キニーネの物語(2)

 というわけでずいぶんと間が空きましたが、前回の続き。

 Perkinの失敗の後にもキニーネの人工合成に挑む者は次々に現れ、そのほとんどは全くの失敗に終わったものの、中にはPerkin同様実りある副産物を生み出した者もいます。例えばKnorrなどはそのチャレンジの中で多くの有用なヘテロ環(窒素・酸素・イオウなどを含んだ環)合成法を編み出し、その多くは現在でも我々創薬化学者が日常的に使う反応として生き残っています。またその過程で作り出された「ピリン系」と呼ばれる化合物群は、マラリアには効果がなかったものの解熱鎮痛作用を示すことがわかり、今でも多くの市販薬に配合されています。

解熱鎮痛剤・イソプロピルアンチピリン

 また高名な化学者であるVladimir Prelogも、若い頃キニーネ合成に挑戦しています。彼は初めての論文を執筆したのが15歳(!)という早熟の天才で、キニーネ合成に取りかかったのは1930年、彼が24歳の時です。1937年にはキヌクリジン(下図でいえば右上の窒素を含んだかご状の部分)部分の合成を達成しています。ちなみにPrelogはこれをきっかけに化合物の立体配置に興味を持ち、この分野の研究を押し進めて1975年にはノーベル化学賞を受賞しています。

キニーネ分子。右上部分がキヌクリジン。quinine+nuclear(核)に由来する名称。

 こうして長年の科学者の夢であり続けたキニーネの人工合成ですが、これを果たしたのは20代半ば、今でいえばまだ大学院生でしかない年齢の若者でした。彼の名はR.B.Woodward、後に有機化学の世界を一人で激変させてゆくことになる人物です。

 Woodwardは1917年ボストン生まれ、6歳で親が買い与えた化学書の実験をこなし、11歳で専門の研究者が読む学術誌を購読し始め、16歳でMIT入学、20歳の時1年で博士号を取得したという途轍もない天才です。同年ハーバード大学に移り、朝8時から夜3時まで働きづめという伝説的な仕事ぶりでその名を馳せました。そして彼がキニーネの全合成に着手したのは1942年、Woodward25歳のころでした。

 さて化合物を合成するにあたり、不斉炭素が増えると難易度は飛躍的に増します。キニーネは近接した4つの不斉炭素を持っており、これを制御して合成するのは当時よりはるかに進歩した現代化学をもってしてもそう容易なことではありません。これをどう構築するかが、キニーネ攻略の鍵を握ることになります。

 Woodwardは「余分な環を作ってその上で立体化学を制御し、後でこれを切り開く」という手段を導入し、この難関を乗り越えました。鎖状ににょろにょろと動いている分子は制御しにくいのに対し、環になっていれば動きが制限されるため、目的とする立体化学を持つ分子が作りやすいのです。これは今ではスタンダードな手法となっていますが、当時はまるで手品を見るような新鮮なインパクトを与えました。

ちなみにWoodwardは後にこの手法を他の化合物の合成にも適用し、大きな成果を挙げています。文学の世界では「処女作には作家の全てが込められている」といわれているそうですが、有機化学の世界においてもこの言葉は通用するのかも知れません。

最終的に全合成が完成したのは1944年、Woodwardと共同研究者のDoering(のちハーバード大学教授)はいずれもまだ27歳という若さでした。このニュースはニューヨークタイムスなど大新聞にも大きく取り上げられ、「コールタールから魔法の薬を作り出した若者たち」と彼らの成果を讃えました。

 この研究は学界からも「全合成がそれ自体クリエイティブであり、高い芸術性を持つものであるということを証明した」と高く評価されました。これをきっかけに全合成は「化学の大きな一ジャンル」と認識され、Woodward自身がこの分野を大きく成長させていくことになります。Woodwardが生涯に全合成した化合物はコルチゾン、ストリキニーネ、レセルピン、クロロフィル、セファロスポリン、プロスタグランジン、エリスロマイシンなど枚挙にいとまがなく、中でもそのキャリアの頂点と目されるビタミンB12の全合成は、40年を経た現在でも2番目の達成者が現れないという有機化学史上の巨大な金字塔となっています。キニーネの全合成こそは、こうした輝かしいWoodward時代、有機合成化学時代の幕開けになった研究といえるでしょう。

Woodwardが全合成した天然物の一部。左上からコルチゾン、ストリキニーネ、エリスロマイシンA、ビタミンB12。

 Woodwardはこれらの功績で1965年にノーベル化学賞を単独受賞し、1979年に62歳でその偉大な生涯を閉じます。晩年の講演会で残した「幸せな、幸せな人生だった」という述懐は、最もよい時代に最も自らのなすべき仕事をなし、全ての力を捧げることのできた幸福な人物の言葉として心に残るひとことです。


 ところでこのWoodwardとDoeringによるキニーネ全合成には、最近になってその正否をめぐり論争が起こっています。

 Woodward-Doeringの全合成は、いわゆる「形式全合成」というものでした。天然から得られたキニーネを酢酸水溶液中で加熱するとキノトキシンという化合物になることは、すでにBiddleらによって1912年に報告されていました。そして1918年ドイツのRabeとKindlerは、キノトキシンを3段階の操作でキニーネに変換できることを示したのです。

 1944年にWoodwardが合成したのはこのキノトキシンであり、後はRabeの方法に従えばキニーネができると報告したのでした。が、実はこのRabeによる報告は不完全であり、きちんと他人が再現できるような実験の経過が記載されていなかったのです。

 全米がWoodwardの快挙に沸き返る中、このことに気づいて疑問を持った人物がいました。その人は今も有機化学界の大御所として活躍するGilbert Stork教授で、1944年当時まだ22歳の学生でした。彼はWoodwardに宛てて「あなたはキノトキシンからキニーネが本当に合成できるのかどうか、確認を行ったのか」という手紙を出しています。記録調査によれば、Woodwardはこれに返事を書き送った形跡はありません。

 そしてStorkはなんとその56年後の2000年になり、初のキニーネ不斉合成を果たしました(J. Am. Chem. Soc. 123, 3239 (2001))。その論文でStorkは、26行にもわたる異例の脚注でRabeの報告の不備を指摘し、Woodwardの「神話」に疑問符を投げかけたのです。この指摘は、Woodwardの業績を認めるべきかどうかをめぐり、大きな論争を巻き起こすこととなりました(Angew. Chem. Int. Ed. 44, 854 (2005), ibid 46, 1378, (2007))。

 2007年になり、この論争に決着をつけるべく立ち上がった人物がいました。コロラド州立大のRobert Williams教授がその人です。WilliamsはWoodwardの最晩年にハーバード大学に移り、その最後の仕事であるエリスロマイシン全合成に携わった、いわばWoodward最後の弟子です。彼はRabeの実験を綿密に検討し、1944年当時の技術でキノトキシンからキニーネへの変換ができるものかどうか検証を行ったのです。彼の学生Aaron Smithは見事それをやり遂げ、結晶化や元素分析といった半世紀以上前の技術のみを用いて、キニーネが合成できることを実証したのです(Angew. Chem. Int. Ed. 47, 1 (2008))。60年以上の歳月を経た論争、それにけりをつけたStork・Williams両者の執念たるや、舌を巻く他はありません。

 ちなみにこの論文のタイトルは「Rabe Rest in Peace」と銘打たれており、「Doering教授90歳の誕生日に捧げる」とクレジットされています。天国のRabe・Kindler・Woodward、なおも健在で研究を続けるDoering教授にとり、これほど嬉しい報告はなかったかもしれません。


 さて論争にも決着がついてしまい、キニーネの有機化学との関わりは終わったのか――というと実はそんなことはなく、近年キニーネは有機化学の世界で逆にその存在感を増してきているのです。そのあたりの話はまた次回。

 

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