☆キニーネの物語

 化学の歴史を概観していくと、なぜか要所要所で顔を出す化合物がいくつか存在します。今回はそんな化合物の一つ、キニーネの話を。

キニーネ(quinine)

 人類が発生して約200万年、その間に約800億人の人間が生まれたと推測されています。ではその人類の死因で、これまで一番多いのはいったい何でしょうか?実はペストでも戦争でも猛獣に襲われるのでもなく、人類最大の死因はマラリアであるという説があります。

マラリアは病原体(マラリア原虫)を持った蚊に刺されることによって感染し、現在でも感染者は約3〜5億、年間100万人以上がこの病気のために亡くなっていると推定されます。現在はほぼ熱帯地域での流行に限られていますが、将来地球温暖化によって日本などにも入ってくるという予測もあり、決して他人事ではありません。そして長いことマラリアの唯一の特効薬であったのが、アカネ科の樹木「キナ(quina)の木」から得られる「キニーネ」だったというわけです。

 南米の原住民は古くから、アンデスの高地に生えるキナの樹皮がマラリアに有効であることを知っていたとされます。西洋文明がこれを知ったのは1630年頃で、イエズス会の宣教師がこれを用いて治療活動を行っていた記録が残っているそうです。

 18〜19世紀になってヨーロッパ諸国が植民地を求めて南下してくると、キナ皮の需要は一気に高まりました。イギリス人がインド経営に成功したのは、彼らが毎日ジントニックを飲んでいたからだという話さえあるほどです。トニックウォーターはキナのエキスを含んでおり、あの苦味は実はキニーネの味なのです。イギリス人はこれによってマラリアの害を避けることができていた、というのはたぶん大げさな話でしょうが、まあこういう冗談が作られるほどキニーネの薬効は素晴らしかったともいえます。


 キナ皮から薬効成分であるキニーネを純粋に取り出すことに成功したのはフランスのPelletierとCaventouで、1820年のことです。しかしキナの樹皮だけでは高まる一方のキニーネ需要を満たすことはとてもできず、1850年代には「キニーネの人工合成に成功した者には4000フラン」という懸賞がかけられるほどになりました。これを聞いて一攫千金の野心に燃えたのがイギリスのWilliam H. Perkinで、驚くべきことに当時わずか18歳という少年化学者でした。

 1856年、彼はキニーネの人工合成に着手しました。彼のアイディアは次のようなものです。

・キニーネの化学式はC20H24N2O2である。

・アリルトルイジンの化学式はC10H13Nだから、これを2倍して水素を2個取り去り、酸素を2個加えればキニーネの化学式になる。

・水素を除いて酸素を加えるのは酸化反応だから、アリルトルイジンを酸化剤(二クロム酸カリウム)と加熱してやればキニーネになるかもしれない。

 ご覧の通り、現代の我々が見ればPerkinの原子数を合わせるだけでしかない計画は無謀そのもので、何をどう間違ってもキニーネができあがる可能性はありません。まあ1856年といえばまだ有機化学の黎明期で、構造に関する知識など何もない時代ですから(ベンゼンの正しい構造が提案されるのが1865年、炭素の正4面体構造が提唱されるのが1874年です)、彼のこの素朴な計画もやむを得ないことではありました。というわけでこの実験でPerkinが得たものは、泥のような赤褐色のタールの山だけに終わりました。

 Perkinはあきらめずにもう少しこれを追求しようと、もっと単純なアニリンを同じように酸化してみることにしました。しかしここでできたのはさらに汚い真っ黒の固体で、彼はやむなくこれを捨てようとフラスコを水とアルコールで洗い流そうとしました。ところがここで、彼はこの洗液が美しい紫色をしていることに気づいたのです。試しに手近な布をそれに浸してみたところ、布は鮮やかな紫に染まっていました。紫の天然染料は極めて高価で、そのためこの色は古来王者の象徴とされてきたほどです。このタールはその安価な代用品になるのではないか、とPerkinはひらめいたのです。世界初の人工染料、「モーブ(mauve、またはmauveine)」の誕生の瞬間でした。同時にこれは、化学工業の時代の幕開けを告げる出来事でもあったのです。

アニリンとトルイジン4分子が酸化縮合し、紫色のモーブができる。

Perkinにとってもうひとつ幸運だったのは、彼が使ったアニリンにはトルイジン(メチル基がひとつ余計についている)が不純物として混入しており、これが実はモーブの生成には必須だったことです。ともかくPerkinは資産家であった両親を説得し、苦労の末にこの人工染料を工業化して大成功を収めました。この後Perkinはアカネ色素アリザリンの人工合成にも成功し、紫に続いて赤い色素をも世界に提供することになります(1871年)。

アカネ色素アリザリン

 彼の成果に刺激を受けて各国で次々と色彩豊かな人工染料が開発され、それまで限られた高価な色しか使えなかったファッション界には一大変革期が訪れることになりました。BASF、チバガイギー(現ノバルティス)、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)、ICIなどの巨大化学メーカーがいずれもアニリン染料の開発からスタートした会社であることを思えば、若きPerkinの発見が与えた影響の大きさがわかるのではないでしょうか。

 経済的に成功したPerkinは36歳で工場を売り払って化学の世界に戻り、人工香料クマリンの合成、Perkin反応(アルデヒドとマロン酸から桂皮酸を作る反応)の開発などの成果を挙げ、化学史に不朽の名を残しました。イギリス化学会の有機化学部門の機関誌は、長らく彼の名を記念して「Perkin Transaction」と名付けられていたほどです(2003年よりOrganic & Biomolecular Chemistryに改称)。


 Perkinの無謀な、しかし実り多かったトライアルから半世紀を経た1908年、ドイツのRabeの努力によってついに本物のキニーネの構造が解明されます。しかしその複雑な構造はまだまだ当時の化学者の手に負えるものではなく、これをより簡単にした代用品の開発が進みました。中でもクロロキン(下図)は赤血球にとりついたマラリア原虫にも強い効果を示し、魔法の薬とまで讃えられることになりました。

chloroquine。黄緑色は塩素原子。

 しかし現在ではクロロキン耐性を持った原虫が多く発生しており、今ではこの薬が有効な地域の方が少ないとまでいわれます。その後メフロキン、さらにアルテミシニンなどの新薬が次々に投入されていますが、これらもすでに耐性原虫が出現しており、最近では最も古典的なマラリア薬であるキニーネが再評価されつつあるとのことです。

mefloquin(左)、artemisinin(右)。アルテミシニンはO-O結合を持つ珍しい天然物。


 さて本物のキニーネの化学合成は、構造決定の後も長いこと化学者の夢であり続けました。この壁を打ち破るのにはさらに36年の科学の進歩と、一人の天才とを必要としました。彼の名はRobert Burns Woodward、後に20世紀最大の有機化学者と呼ばれることになる人物でした。

ということで次回につづく。

 

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