Molecule of the Week (56)

 

ガスハイドレート結晶格子

 21世紀を迎えた現在、人類の抱える最大の問題のひとつがエネルギー・環境問題であり、中でも地球温暖化は急を要する課題です。しかし、京都議定書により国際的に二酸化炭素削減が義務づけられたにも関わらず、肝心のアメリカが早々に離脱し、議長国である日本も規定通りの削減は非常に難しそうで、先行きは暗いものと思わざるを得ません。

 CO2の最も効果的な削減方法は、炭素を含む燃料を燃やさないことです。そこで今注目されている燃料が水素ガスで、燃やしても出る廃棄物は純粋な水だけですから、これ以上クリーンなエネルギーはありません。

 とはいえ水素エネルギー実現のネックのひとつは、水素が軽い気体であるため貯蔵が難しい点です。ボンベに詰める、液化、水素吸蔵合金など手段はいろいろ考えられていますが、いずれも難があることはカーボンナノチューブの項でも触れた通りです。

 有望な方法の一つは、「水素を氷に詰め込んでしまう」という手です。メタンハイドレートの項目で述べた通り、水は高圧下で特殊なネットワークを作り、そのすき間に他の気体分子を閉じ込めてしまうのです。水素もこの「ハイドレート」を作ることが知られており、これが使えるなら高価な合金など持ち出さなくても、いくらでもある水をボンベ代わりに使えるのだから理想的です。

 これが実用化されていないのは例によって弱点もあるからで、水素が安定なハイドレートを作るには-24度で約2000気圧という過酷な条件が必要なのです。これだけの圧力をかけるには莫大なエネルギーが必要になってきますから、せっかくの水素エネルギーも無駄ばかりが大きくなってしまうでしょう。

 ところが最近になり、単純にして有望な方法が韓国のグループから報告されました。水にテトラヒドロフラン(THF)という溶媒を0.1%ほど混ぜておくと、50気圧・7度という非常に穏やかな条件で安定なハイドレートができるというのです。THFは有機合成の分野でも汎用されており、安価で安全性も高い溶媒ですからこれはなかなか優れた方法といえそうです。

THF。溶解力が強いので、種々の合成反応に使われる。

 できた水素ハイドレートを解析してみた結果、12面体の小さなケージには水素2分子が、16面体の大きなケージにはTHF分子が取り込まれていることがわかりました。この水素ハイドレートには最大で4重量%ほどの水素が含まれているといいますから、気体の水素に比べて約2000倍もの密度に圧縮できたことになります。

 他の分子を共存させることで低圧でも安定なハイドレートを作らせるというアイディアは優れており、今後THF以外の分子を共存させてさらに優れたハイドレートを作る研究が行われることになりそうです。こうした研究は将来水素エネルギー時代が来た時、知的所有権から莫大な収益をもたらす可能性を秘めていますから、今後激しい国際競争を呼ぶかもしれません。ここはひとつ日本勢の頑張りにも期待したいところです。

 Nature 2005, 434, 743 H.Lee et al.

 Angew. Chem. Int. Ed. 2006, 45, 2011 Y. H. Hu et al

 

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