☆カリックスアレン・変幻自在の分子の杯

 「カリックスアレン」という風変わりな名前の化合物が、近年よく学会誌をにぎわしています。というわけで今回は、この「分子の杯」の化学を取り上げてみましょう。(なお今回からCGだけでなく分子模型による表示も取り入れています。紺色が炭素、赤が酸素、緑が窒素、黄色が硫黄となっています)。

 フェノール(ベンゼン環に水酸基が1つついたもの)とホルムアルデヒドを反応させるとお互いがランダムにつながりあい、硬い巨大分子になることは古くから知られていました。これは発見者の名前を取ってベークライトと名付けられ、熱に強い性質を生かして灰皿や鍋の取っ手などによく使われています。

bakelite

ところがこの発見から70年ほどたった1978年、ワシントン大学のGutscheはうまく条件を選んで反応させると、フェノール単位が4〜8個環状につながった分子がたくさん得られてくることに気づいたのです。

calix[4]arene。stick表示で斜め上から(左)とCPK表示で上から(右)

左からcalix[4]arene, calix[6]arene, calix[8]arene

 偶然に発見されたこの分子は「足元」の水酸基同士が水素結合し、カップ型の構造をとります。生みの親であるGutsche教授は、この構造に対してギリシャ語の「杯」(calix)という言葉から「カリックスアレン」という名を与えました。

 カリックスアレンの「杯」の名はダテではなく、その窪みの中には金属イオンやクロロホルムなどの小分子をつかまえることができます。つまりシクロファン類と同様、カリックスアレンは「ホスト分子」として働くことができるわけです。変形しにくいフェノール環が「ちょうつがい」となるメチレン単位で結ばれていますので、この分子は適当な硬さを持ちつつもいろいろな大きさのゲスト分子に対応できる柔軟性を持つのです。

クロロホルム分子を包摂したカリックス[4]アレン。黄緑色は塩素。

またカリックスアレンは安い原料から大量に合成できますし(これはやはり重要なファクターです)、それぞれのフェノール単位はいろいろな反応を受け付けますから、化学者の好みに応じて種々の原子団を取り付けることが可能です。こうした理由からカリックスアレンはあっという間に化学界の注目を集め、ホスト−ゲスト化学の分野において大きな一ジャンルを築く存在になりました。

 カリックスアレンの環が大きくなれば、もっと大きな分子も捕らえられます。例えば重要な応用として、フラーレンを取り込むカリックスアレンが知られています。両者はどちらもベンゼン環からできている似たもの同士ですので、非常に相性がいいのです。

例えばカリックス[8]アレンのある誘導体は、C70やC76の混じった中からC60だけを見分けて包み込むことが知られています。グラファイトを蒸発させて作った炭素のススはいろいろのサイズのフラーレンの混合物ですが、これを利用することによって大量にC60だけを精製することが可能になりました。下にはカリックス[5]アレンが、C60を捕らえた画像を示しておきます。

 

calix[5]arene-C60 complex。紫はヨウ素。

 ところで原子力の「燃料」となるウランは特定の鉱山から掘り出されていますが、石油同様いずれ枯渇することが心配されています。海水中には極めて低い濃度ながらウランがウラニルイオン(UO22+)の形で溶けていますので、これを抽出することができればエネルギーの安定供給に大きく寄与すると考えられます。とはいえ海水には他の金属イオンがはるかにたくさん溶けていますので、これらからウランだけを見分けて集めるのは容易なことではありません。

ウラニルイオンの結合の腕は他の金属イオンと違い、平面正6角形方向に伸びるという珍しい特徴があります。新海らはこれを利用し、カリックス[6]アレンにカルボン酸ユニットを取り付けた誘導体を設計しました。この分子は他の金属イオンが大量に溶けている中からでも、ウラニルイオン(UO22+)だけを選択的に捕まえます。カリックスアレンのしっかりした環構造が、ウラニルイオンの平面6配位にぴったりフィットするわけです。

ウラニルイオン(緑色の大きな玉)を捕らえたカリックスアレン誘導体。

 大きなカリックスアレンの底の穴をふさぎ、深いかご状分子を作る試みもあります。カリックス[6]アレンの底をベンゼンでふさいだもの、カリックス[8]アレンとカリックス[4]アレンを上下につないだ2階建てカリックスアレンなども作られていて、これらはさらに大きな分子を捕まえることができます。しかしここまで来れば機能うんぬんを超え、もはや芸術作品の領域といってよさそうです。

 さらに近年、カリックスアレン骨格自体が変化したバリエーションも続々と増えつつあります。こちらに関してはまた次回

 

 有機化学美術館トップに戻る