☆香りの化合物(1)

 2000年のこと、ドイツの権威ある学会誌「Angewante Chemie」にユニークな総説が掲載されました。P.Kraftらの著した「香料化学の最近の進歩と流行」とタイトルのつけられたこの総説には、なんとページに実際に香料がマイクロカプセル化して刷り込まれており、載っている化合物の香りを実際に嗅ぐことができるようになっていました。最近では学会誌の配信もインターネット経由が普及しつつありますが、これだけはどうしたってネットでは送れません。なかなかシャレた配慮をしたものです。

 この総説には企業秘密であるはずの各社の香水の成分がずらりと書き並べられています。分析機器の進歩によって、こういった微量成分なども今は簡単に解析できるようになりました。今回はこうした香料の化学を取り上げてみましょう。

 

・テルペン

 天然の植物から得られる香り成分として代表的なものに、テルペン類と呼ばれる化合物群があります。テルペンというのはイソプレンと呼ばれる単位がいろいろにつながって作られる化合物のことで、以前取り上げたタキソールなどもこの仲間です。この単純な材料から、実に様々な構造と香りを持つ化合物群が作り出されます。

isoprene

 下の図の黄色い化合物がレモンの香りのリモネン、よく似ているけど水酸基がついているメントール(水色)はミントの香りがします(タバコなどに配合されるメンソールと言った方が通りがよいかもしれません)。この化合物は皮膚や舌にも清涼感を感じさせる上、殺菌効果なども併せ持っており、ちょっと独特の存在です。薄緑色はクスノキから得られるショウノウ(camphor)で、かつては防虫剤としてよく用いられていました。また強心剤としての働きもあり、よく言われる「カンフル剤」というのは実はこのショウノウのことです。

 

   

 ピンク色はバラの匂いのローズオキシド、横に長いゲラニオール(紫)はゼラニウムの花の香りです。オレンジ色はグレープフルーツの香りがするヌートカトンで、ある種の香油の主成分です。このタイプの香りは多くの香水に配合されています。緑色のロンギフォレンは青葉の香り、茶色のちょっと変わった骨格を持つα-ピネンは松の香りです。ピネンは油彩を溶かす油にたくさん含まれており、疲労回復などの作用もあるそうです。

 

 

 それにしても単純な材料から、様々な骨格と香りを持つ化合物が作り出されるものです。自然のたくみの奥深さに感心せざるを得ません。

 ☆エステル

 エステルと呼ばれる部分構造を持つ分子はたいていよい香りがします。果物の香気成分はこのエステルが主成分です。例えば下左の酢酸イソアミルはバナナ、真ん中の分子はパイナップルの香りです。下右の分子は後で出てくるシナモンの香り分子によく似ていますが、意外なことにこちらはマツタケの香り成分です。

 香水の女王と言えばジャスミンですが、この花の香りの主成分は酢酸ベンジル(下左)とエピジャスモン酸メチル(下右)で、いずれもエステル結合を含みます。後者はある種の昆虫のフェロモンでもあることは以前に触れました。これを合成しやすくやや簡単にしたエディオンという化合物は、1966年にクリスチャンディオールの「Eau Sauvage」に初めて配合されてブームを巻き起こし、今ではこれを含まない香水を探す方が難しいとさえ言われます。コム・デ・ギャルソンの「Odeur53」は成分の63%がエディオンであるということです。

 環状のエステルをラクトンと呼び、これらの中にも香料として使われているものが多くあります。下の絵はいずれも5員環ラクトンですが、左から順にココナッツ、桃、ウイスキーと全く異なる香りがします。真ん中ののγ-ウンデカノライドは1919年に発売された有名な香水「ミツコ」の成分の一つです。右のウイスキーラクトンはバーボンやワインにも含まれていますが、意外なことにこれは樫の木でできた樽からしみ出してくる成分です。長期間樽の中で熟成させた酒がうまいというのは、実はこうした理由にもよっているのです。

 

 香り高い化合物はまだまだたくさんあります。こちらはパート2で紹介しましょう。

 

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