☆タキソール〜全合成のドラマ〜
全合成というジャンルがあります。主に天然から産出される複雑な分子を、小さな分子から人間の手で一歩一歩組み上げることです。本来は、天然からは少量しか得られない貴重な化合物の構造を解明する、あるいはそれを人工的に供給するというのが目的ですが、現代ではむしろ新しい反応の有効性を示し、また磨くための舞台としての役割が大きくなっているように思われます。もちろん注目を集める化合物を世界で初めて合成したとなれば大きな名誉となりますし、特にアメリカなどではこうした実績が研究費獲得にダイレクトに結びつきますので誰もが血眼にならざるを得ません。今回の主役であるタキソールは、過去もっとも激しい合成競争が繰り広げられたことで知られる有名な化合物です。
タキソールは1971年、アメリカ保健省の大規模な抗がん剤探索プロジェクトにより、イチイの一種の樹皮から発見されました。タキソールは乳ガンなどに対して極めて有望な薬剤であることはすぐにわかりましたが、全ての患者に行き渡るほどの量は天然からはとても得られず(イチイの木は成長が非常に遅い上、樹皮をはぐとすぐに枯れてしまう)、合成による供給が求められました。そしてもう一つ、何よりタキソールは構造的に非常にユニークで、有機合成化学者の挑戦心をかき立てるに十分な化合物でもありました。
「合成屋」の興味をひきつける条件を全て兼ね備えたタキソールの合成レースには、全世界30以上のグループが参加したといわれ、筆者の所属した研究室もそのひとつでした。参戦した主なメンバーだけでも、有機化学界のスーパースターの一人Danishefsky教授、1940年代から活躍する大御所Stork教授、ドデカヘドラン全合成のPaquette教授、テルペン類合成に実績のあるWender教授、日本を代表する有機化学者である向山光昭教授、さらに側鎖部分の合成には2001年ノーベル化学賞のSharpless教授、その弟子のハーバードの若き俊英Jacobsen教授などが名を連ね、まさに有機化学界のオールスターが一同に会した観がありました。そして90年代に入ってからは天然物全合成の第一人者であるNicolaou教授も名乗りを上げ、レースは最高潮を迎えます。
しかしながら世界中の著名な化学者たちの努力にもかかわらず、タキソールはなかなか陥落しませんでした。筆者の所属していた研究室でも骨格の合成はかなり早い時期に成功したのですが、そこから予想もしなかった問題が次々と持ち上がり、何度も暗礁に乗り上げました。筆者自身はこのプロジェクトには直接関わっていませんでしたが、端で見ていても全合成とはなんとしんどくてドラマチックで、知恵と勇気と腕力を必要とするものだろうと思わされたものです。
最終盤に至り、トップランナーはこのHoltonとNicolaouの二人に絞られます。化学界ではほとんど無名ながら、たったひとりで研究を始めてコツコツと結果を積み重ねてここまできたHolton教授と、世界中から集まった精鋭のポスドク部隊を大量に投入して、力と技で驀進する第一人者Nicolaou教授、両者の対決はまさに好対照といえるものでした。
「ニューズウィーク」など一般の週刊誌を巻き込むほどの騒ぎになったこの一件も、最後はHoltonらの「写真判定勝ち」と認められて落着しました。全合成については世界的権威と誰もが認めるNicolaou教授も、タキソールのファースト・シンセシスの栄冠だけはHoltonに譲ることとなったのです。Holtonらによる全合成は各段階がほとんど究極に近いまでに磨き上げられており、この面からも史上に残る金字塔の名にふさわしいものです。
両者による一番乗りの争いが決着した後には、Danishefsky、Wender、向山教授といった錚々たる顔ぶれがそれぞれオリジナルの全合成の完成を報告しています。合成手法の発展した現代にあってはこれほど難しくて魅力的なターゲットはそう残っておらず、タキソールのように華々しい合成競争が繰り広げられることはもうないだろうと言われています。
「タキソールは天然からの産出が少ないため、合成による供給が求められた」と書きましたが、実際には全合成には40ステップ以上の反応を必要とし、特殊な反応も多いので、キログラム単位でタキソールを合成するのはまず不可能です。しかしその後イチイの葉からバッカチンIIIという化合物(変な名ですが)が大量に得られることがわかり、ここに側鎖を取り付けることで効率よくタキソールを合成できることがわかりました。現在臨床に用いられているタキソールはこの「半合成」によって供給されています。