☆正12面体の分子たち

 前回は分子の作る多面体について話しました。今回はその続き、正12面体構造を持つ分子について。

 正12面体はギリシャの昔から、最も高い対称性を持つ美しい立体として知られていました。これを炭素骨格で作るという試みは合成化学者にとって最高度に挑戦的な目標で、その合成はエベレスト登頂にも例えられたほどです。

dodecahedrane

 12面体分子ドデカヘドラン(「dodeca」はギリシャ語で「12」、「hedra」は「面」を意味します)はキュバンなどと違ってひずみはほとんどなく、非常に安定な分子です。しかし模型を組むのとは違って、実際の合成は目に見えないほどに小さな分子を相手にするわけですから、どこでも好きなところを切ったり貼ったりするというわけにはいきません。実際にはこれまでに知られている反応をうまく組み合わせて、試行錯誤を繰り返しながら押したり引いたりして進んで行くことになります。しかしこうしたかご型の特殊な分子では予想外の反応が起こりやすく、その合成は難航を極めました。

 こうした化合物の合成では、戦略の立て方が何より重要になります。例えばWoodward教授は5角形3枚から成る「トリキナセン」を2つつないでドデカヘドランを作ることを考えました。また、キュバンの合成で知られたEaton教授は「ペリスチラン」と名付けられた化合物を合成し、ここに5角形の「ふた」を取り付けて12面体骨格を形成しようとしました。しかし残念ながらこれらのルートでは、最終目的のドデカヘドランにはたどり着いていません。

トリキナセンルート(左)、ペリスチランルート(右)。水素原子は省略

 こうして20ほどもあったライバルの研究室が次々と脱落する中、飽くなき執念でドデカヘドラン全合成に挑み続けたのがオハイオ州立大のPaquette教授でした。Paquette自身も様々なルートを試し、失敗を重ねています。例えば最終目的への一里塚として「ビバルバン」(bivalveは二枚貝の意味)や「ヘキサキナセン」(6枚の5角形を意味する)などを作り出していますが、ここからは残念ながらドデカヘドランにはたどり着くことができませんでした。絵だけ見ると、あと数本の結合を作るだけで簡単そうに見えますが、実際の分子に言うことを聞かせるのは大変なことなのです。

ビバルバン(左)、ヘキサキナセン(右)

 しかしそれでも教授は諦めず20年近くにもわたって研究を続け、結局、一歩一歩環を積み上げて行く手法によって、ついに1981年にジメチルドデカヘドラン(炭素が2つ余計についている)を、さらに1982年にはドデカヘドランそのものの全合成を完成しました。有機合成の神様Woodwardさえも手の届かなかったドデカヘドランは、ついにPaquette教授の凄まじい執念の前に陥落したのです。この全合成は多くの有機化学の教科書にも取り上げられる見事なもので、化学史上の大きな金字塔のひとつとされています。

 5年後の1987年、今度はドイツのPrinzbach教授が二番目のドデカヘドラン合成を報告しました。こちらはパゴダン(「パゴダ」は五重塔に似た東南アジアの仏塔のこと)と名付けた化合物をまず合成し、ここに酸を作用させてドデカヘドランへと変換するというルートをとっています。Paquetteの最初のルートに比べ、だいぶ洗練されたものになっています。

パゴダン

 最近になり、Prinzbach教授は、ドデカヘドランの表面から水素を全て取り去った「C20」の合成にも成功しています。これは最小のフラーレンと見ることもできます。

C20

 これはドデカヘドランC20H20の水素原子を臭素原子に置き換え、その臭素を電子ビームで「吹き飛ばす」方法で作られました。本来平面であるべき二重結合が山型にねじ曲げられているので、C20は不安定でごくわずかの寿命しかありません。とはいえこれだけひずんだ化合物が一瞬といえど存在し得ただけでも驚くべきことといえそうです。

C20はドデカヘドラン骨格に15本の二重結合を導入したものですが、さらに最近になり、1〜4個の二重結合を入れたものも同じPrinzbachグループにより作り出されています。これらはひずんだ二重結合の挙動を解き明かす意味で、学問的に価値の高い研究と言えるでしょう。


 ついでですので、その他の12面体分子にも触れておきましょう。1992年、Castlemanらは、チタン原子8個と炭素原子12個からなる新しい12面体型クラスターを発見し、これを「メタロカルボヘドレン」と名付けました(これはさすがに舌を噛みそうな名前ですので、研究者たちは「met-cars」と通称しているようです)。その後、チタンの代わりに鉄やバナジウム、ジルコニウム、クロムなどを含んだものも作り出されています。8個の金属原子どうしは隣り合うことなく、立方体の頂点を占めるように配置されているのがわかります。

metallo-carbohedrene。青が炭素原子、銀色が金属原子。

 金属と炭素の結合はたいてい不安定ですので、有機屋の目から見ると「こんなものが本当に安定なのだろうか」と首をかしげたくなるような構造です。この化合物(というよりクラスター)は大量に作ることが難しいため、その構造にも確証が得られておらず、もう少しねじれた構造なのではないかなどとも言われています(議論がどう決着したのか、詳しい方がおられたら御教示願いたいと思います)。

 Stangらは「自己組織化」という考え方による正12面体分子を発表しています。何度か書いた通り、窒素(下図、青色で示した)は金属原子(同じく紫色の玉、この場合は白金)に結合しやすい性質があります。これを利用し、「頂点」となるパーツと「辺」となるパーツとを溶液中で混ぜ合わせると、これらが自発的に組み上がって大きな正12面体を形成するというものです。

頂点パーツ(左)、辺パーツ(右)。辺パーツについている配位子は省略。

 正12面体の頂点は20個、辺は30本ですから、なんと50ものパーツが勝手に寄り集まって12面体を作ることになります。それでいてこの反応の収率は99%といいますから、その効率には驚くべきものがあります。


 ドデカヘドランを初めとした正12面体分子をいくつか見てきました。今回いろいろ調べてみて驚いたのはPaquette、Prinzbach両教授の執念で、両者ともにドデカヘドランというひとつの分子の研究に十数年の歳月を費やしています。これはこの構造に「惚れ込む」ことなくしてはできないことなのではないでしょうか。美しい「かたち」というものは、数学者のみならず化学者をものめり込ませる「魔力」を持っているかのようです。

彼らの合成ルートは分子そのものに負けず劣らず美しいものですので、専門の方はぜひ元文献を当たってその美しさを味わっていただきたいと思います。文献番号を下に示しておきましょう。

J. Am. Chem. Soc. 1982, 104, 4502 L. A. Paquette et al.

Tetrahedron Lett. 1983, 24, 5857 H. Prinzbach et al.

 

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