☆糖の話(4)

 以前、セルロースは植物の体を支える重要な構造材だという話をしました。実は動物もこれとよく似た化合物を使って、体の骨格を作っていることがわかっています。これが「キチン」と呼ばれる化合物です。セルロースがブドウ糖だけをたくさんつないだ構造であるのに対し、キチンは「N-アセチルグルコサミン」という窒素を含んだ糖がずらりとつながってできています。

 キチンは丈夫で軽いため、昆虫やエビ・カニなどの殻のほか、細菌類に至まで生物界に広く分布しています。以前、セルロースは年間1兆トン作られると書きましたが、キチンもまたそれに匹敵する量が作られていると言われます。しかしキチンはセルロースと違いあまり利用されていないため、なんとか資源として生かせないかという研究も進められています。

 17〜18世紀にかけて活躍したイタリアのバイオリン職人アントニオ・ストラディバリの作りだしたバイオリン「ストラディバリウス」をご存知でしょうか。その素晴らしい音色は300年を経た現代の技術をもってしても再現することができず、「人類の至宝」とまで呼ばれています。美しい音色の秘密は表面に塗られたニスにあると言われてきましたが、その調合法は時代とともに失われてしまい、長いこと謎とされてきました。

最近の分析により、どうやらストラディバリウスの音色の秘密はこのキチンにあることがわかってきました。ストラディバリは、どうやらニスにセミの羽か何かを煮出した汁を配合していたらしいということです。実際に、エビの殻から取りだしたキチンをバイオリンに塗ってみたところ、ストラディバリウスに極めて近い音がすることがわかりました。それにしてもストラディバリはどこからこんなことを思いついたのか、実に不思議なことではあります。

 人間もまたこのキチンやセルロースによく似た化合物を体内で作り、利用しています。代表的なのはヒアルロン酸と呼ばれる化合物で、糖の水酸基の一部が酸性のカルボン酸へと変化しています。ヒアルロン酸はその体積の1000倍もの水を含むことができ、構造的にしっかりしていながら衝撃を吸収する優れた材料です。このためヒアルロン酸は細胞間や関節に多く分布し、関節をスムーズに動かすための潤滑油として機能しています。

ヒアルロン酸。グルクロン酸とN-アセチルグルコサミンが交互に並んだ単位が約250〜25000ほどつながった巨大分子。

 ヒアルロン酸の名前は化粧品のCMなどで聞いたことのある方も多いと思います。前述したようにヒアルロン酸は多量の水を含み、しかも生体によくなじむので、肌の保湿にぴったりなのです。以前は鶏のトサカやブタの胎児のへその緒といった少々ホラーな素材から採取されていましたが(^^;、現在では培養したヒアルロン酸生産菌から大量に得られるようになったということです(どちらにしろ気持ち悪い?)。


 こうした高分子の他にも、糖は生体内で重要な役回りを演じています。大きな役目の一つとして、細胞同士のコミュニケーションに糖が働いていることがわかってきています。例えば下に挙げるシアル酸は細胞の表面に分布しており、細胞同士がくっついたり、組織に細菌が感染するときなどには、このシアル酸を目印にして細胞がくっつくことがわかっています。この他シアル酸は細胞のガン化にも関わっていることがわかっており、近年大きな注目を集める分子の一つです。

Sialyl Lewis X

 細胞間のコミュニケーションの最も顕著な一例として、血液型の識別があります。詳しい説明は省きますが、A・B・Oそれぞれの血液型の人はそれぞれ下に示すような糖鎖を赤血球の表面に持っており、これを抗体が識別します。もし違う血液型の血が混じるとすかさず抗体が働き、凝固反応が始まることになります。

血液型を表す糖鎖。左上がA、右上がB、下がO。AB型の人はAとBの両方を持つ。

 驚くべきことに、A型とB型の糖鎖の違いは、赤枠で囲った部分のたった1ケ所だけです。これだけの違いが血液型として大きな差をもたらすのですから、人間の体とはなんとも不思議なものです。こうした糖鎖の構造の変化によって、血液型占いがいうように性格が几帳面になったり我が強くなったりするものかどうか、その判断はみなさんにお任せしましょう。


 糖のいろいろな働きを見てきました。実のところ、タンパクなどに比べ糖鎖の役割の研究はまだまだ発展の途上にあります。タンパク質に関しては遺伝子工学の発達により比較的簡単に必要な構造のものが手に入るようになったのですが、糖鎖についてはこうした方法が使えないためです。一方、有機合成による糖鎖の合成技術は着実に進歩しており、今後の糖鎖の機能の解明には、こうした手法が大きな力を発揮することになるでしょう。

これに限らず、今後の科学の進展には、異なる分野の研究者のコラボレーションがますます重要になってくることが予想されます。我々研究者もこれからは一つのジャンルに閉じこもることなく、広い視野を持つことが大事になってくるでしょう……と、頭ではわかっていても、これはなかなか大変なことではあるんですけどね(^^;。

 

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