☆ノーベル化学賞・野依良治教授の業績(1)

 2001年10月、名古屋大学の野依良治教授にノーベル化学賞が授与されることが発表されました。野依先生の業績は我々の世界では知らぬものはなく、ノーベル賞も遅すぎたと思われるくらいのまさしく世界的第一人者です。日本人では前年の白川英樹筑波大名誉教授に続く快挙ですが、筆者にとっては野依先生はより「同業」に近く、講演なども何度か聞いたことがあるので、ずっと身近に(こんなことを言うと恐れ多いかもしれませんが(笑))感じられる存在です。今回は有機合成の歴史に一時代を画した、野依先生の業績についてできるだけ易しく解説してみましょう。

 ニュースなどでご覧になった方も多いと思いますが、野依教授の業績として挙げられているのは「右と左の化合物の作り分けに成功した」ということです。この右と左というのは何か?まず、高校の化学で習った「炭素原子には4本の腕がある」ということを思い出していただく必要があります。そしてこの腕の出し方には3通りの可能性があるのです。それぞれ単結合、二重結合、三重結合と呼ばれます。いずれの場合でも炭素から出ている合計の腕の数は4本で変わりありません(Cが炭素、Hが水素)。

 単結合では炭素の周りの原子は三角ピラミッド型(正四面体)に配置され、二重結合の場合では平面に乗り、三重結合の場合では一直線になります。なぜこうなるか、という理屈はかなり難しいのですが、要するに炭素から出ている水素(ほかの原子の場合でも)同士ができるだけ遠ざかろうとした結果こうなる、と思って下さい。

 さて単結合は正四面体配置をとるといいましたが、炭素の4本の腕にそれぞれ違うものがついた場合ちょっとややこしいことが起こります。下の図を見るとわかる通り、2つの違う配置が発生してくるのです。2つは一見するとそっくりですが、まるで右手と左手のように鏡に映さないと重ならない形、つまり「鏡像体」なのです。こういう炭素を専門用語で「不斉炭素」と呼び、こういう化合物を「キラルな化合物」という言い方をします。

中央の灰色が炭素。両者はどう回転しても重ならず、鏡に映すとぴったり重なる。

 鏡像体である2つの化合物は沸点、融点、密度などの物理的数値は全く同じ数字になります。よってこれらを区別することは難しいのですが、困ったことに生体にとってはこれらは全く別物の化合物なのです(このあたりについてはこちらをご覧下さい)。医薬品や食品、香料などの場合、一方の鏡像体だけが必要でもう一方は不要であるとか、あるいは片方だけが薬として働き、もう片方は毒であるというようなケースも発生します。しかし人工的に一方だけを作るのは難しく、かつては「生物の力に頼らなくては片方だけを作る(不斉合成)ことは不可能」と思われていました。野依先生の業績を一言で言えば、このほしい方だけを化学の力で作り出すことを可能にしたというものです。

 例えば二重結合に水素(H2)をつけて単結合にする、「水素添加」という反応を例にとって考えてみましょう。下の絵のような二重結合を持った化合物に水素がつくと、新しく「不斉炭素」(赤で示した)ができることがわかると思います。

生成物は2つでき、両者は鏡像体の関係にある。

 何の工夫もなく水素添加を行えば、左手型と右手型が50:50の割合でできてきます。これはもとの平面的な元の分子に対し、表から水素がつくか裏から水素がつくかが全くランダムに起こるためです。

くさび形は画面手前に突き出ている結合、点線は奥に引っ込んでいる結合を表す。

 これを制御できれば、ほしい一方の鏡像体だけを作り出すことができるはずです。しかし目に見えないほど小さな分子が相手ですから、当然手作業で一つ一つというようなわけにはいきません。小さな分子を扱うには、同じほど小さな職人あるいはロボットを送り込んで作業をさせてやる必要があります。これが「触媒」というものです。

 水素添加反応には、ニッケルやパラジウム、ロジウムといった金属が触媒として用いられます。これらの金属に二重結合を持った分子と水素とが「乗り」、金属原子の上で両者が反応して離れてゆきます。元に戻った金属原子には再び別の二重結合と水素が乗って、同じ反応を繰り返すことになります。ややこしいようですが、要するにこの金属触媒は二重結合と水素を引き寄せて次々と反応させる役回り、いわば両者を結びつける仲人か、流れ作業の組み立てロボットのようなものをイメージしていただければいいでしょう。

Mは触媒となる金属。MはC=CとH-Hをくっつけたら元のMに戻り、次の反応に入る。

 普通この小さな「ロボット」は左右対称であり、従って左右を見分ける能力を持ちません。つまりできてくる化合物は右手型と左手型が1:1に混じったものになります。ではロボットを「右利き」あるいは「左利き」にしてやれば、一方だけを作り出すようになるのではないでしょうか?

 口で右だ左だということは簡単ですが、では具体的にどうすればいいのか?これについては次の項で話していくことにしましょう。

 

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