☆タンパク質の話(6)〜プリオン・発狂するタンパク質

 前項で述べた通り、タンパク質は一定の形に折りたたまれて初めてその機能を発揮します。そして20種類のアミノ酸の並び順、数さえ決まれば、仕上がりのタンパクの形は必ずたった一つの形態に落ち着く、とこれまでは考えられてきました。例えば下に示すリボヌクレアーゼAというタンパクは、尿素という物質を加えてやると立体構造が崩れて機能を失いますが(変性)、尿素を取り除いてやると勝手に元の形に復元し、機能も同じく再生します。この「アミノ酸配列が決まれば立体構造も一通りに決まる」という考えは、提唱者の名を取って「アンフィンゼンのドグマ」と呼ばれ、生化学の最も基本的な原理とされてきました。

Ribonuclease A。左は全原子を表示、右はリボン形式による模式表示。

赤いところがαヘリックス、青いところがβシート。

 ところが近年になり、その根本法則に反例が発見されました。しかもその反例は、世界を震撼させる恐るべき病原体としてその姿を現したのです。病原体の名はプリオン、そしてその病気の名は――狂牛病です。


 狂牛病(正式には牛スポンジ状脳症、BSE)は1980年代後半からイギリスで発生してやがてヨーロッパ諸国へ、さらに近年日本にも侵入して内外をパニックに陥れました。この病気にかかった牛は脳細胞が死滅してスポンジのように穴だらけになり、徐々に体の動作を制御できなくなってゆきます(足元がふらついて立っていられず、ヨタヨタと倒れる牛たちのニュース映像をご覧になった方も多いと思います)。やがて牛たちは食事を摂ることさえできなくなり、やせ細って苦悶の末に死に至ります。

しかし狂牛病以前にも、牛以外でこうした症状を現す病気は知られていました。ヒツジがかかる「スクレイピー」、ニューギニアのフォア族だけに見られ、死者の脳を食べる食人習慣によって伝染する「クールー」、そして100万人に1人の割で発症する奇病「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」などです。これらはいずれも狂牛病同様脳がスポンジ化し、やがて運動機能が破壊されて、100%の確率で死に至る恐ろしい病気です。

いわゆる狂牛病は、スクレイピーにかかったヒツジの肉が混じった飼料を牛に食べさせたために感染したものと考えられています。そして90年代から、普通は老年層だけがかかるCJDがイギリスで若い層にも集団発生したため、この病気は食肉を通じて牛から人間へと伝染するのではないか、として世界中にパニックを引き起こしたわけです(ただし、本当に動物から人間へ感染するのか、確実なところはまだわかっていません)。


 実は狂牛病騒ぎの以前から、CJDに関する研究は進められていました。しかしその進展につれて浮かび上がってきたのは、あまりにも奇妙なことばかりでした。まずこの病気の病原体は、細菌でもウィルスでもないのです。まずこの病気にかかった生物(マウスやミンク、サルなど種の壁を越えて伝染します)は炎症反応、免疫反応を起こしていません。細菌などの外敵が入り込むと必ず生体はこれらの防御機構を働かせるはずなのですが、CJD病原体はこうした生体の防衛網をやすやすとくぐり抜けているのです。

そして病原体を精製して追い詰めていってもそこにDNAやRNAは検出されず、核酸を破壊する紫外線照射をしても感染力はなくなりません。つまり病原体は遺伝子を持っていないのにタンパク質だけで自己増殖ができる、という生物学の常識に反した結論にたどり着かざるを得ません。この今までに例のない恐るべき病原体に「プリオン」(Prion)という名を与えたのは、ノーベル賞への野心に燃える若き生化学者スタンリー・プルシナーでした。これはタンパク質(Protein)と感染(infection)とを合わせたものです。

そしてプリオンは通常の細菌やウィルスなら完全に死滅するはずの、240度での乾熱滅菌という操作でさえ感染力は消滅しませんでした。アルコールやフェノールなどの消毒薬、タンパクを分解する消化酵素、さらにはどんなタンパクでも変性させてしまうホルマリンで処理してさえ病原性は消えないのです。残る方法は塩素漂白か、でなければ焼却のみ。これでは実験や検査に使った器具が汚染されても、消毒のしようがありません。遺伝子を持たず、タンパクだけで自己増殖をする、しかも不死身の病原体――。これまでの生物学の知識がまるで通用しない、まるでSFのような「生命体」の登場は、あらゆる分野の科学者の頭を抱えさせるに十分でした。


 しかしプルシナーは執念をもってこの病原体を追い詰め続けます。そして1982年、ついに彼らは265個のアミノ酸から成るプリオンタンパク質を分離しました。謎のタンパクの正体はどんなものだったのか……アミノ酸配列を調べてみた彼らは再び仰天するはめになりました。それは健康な人間の体内で常に生産されている、ごく普通のタンパクだったのです。

正常プリオンタンパク質の構造(一部)。左が全原子表示、右はリボン形式の模式図。

 普通に人体が作り出しているタンパクと、狂牛病やCJDなど恐ろしい病気を引き起こすタンパクが、全く同じものであるはずがありません。いろいろと調べてみた結果、人体が作る正常プリオンと、スポンジ状脳症の動物から採った異常プリオンは、アミノ酸配列は同じでもその折りたたみ方が違っていることがわかりました。正常プリオンは上のようにα-ヘリックスが主体であるのに対し、異常プリオンはβ-シートをたくさん含む構造になっており、このために消化酵素や変性剤に強いものと考えられます(ただし異常プリオンの詳しい立体構造はまだ解明されていません)。

 現在では、体内の正常プリオンが病原性の異常プリオンに出会うとこれによって変形され、異常型に化けてしまうという説が広く受け入れられています。こうしてたまっていった異常プリオンは水に溶けにくいためそれ同士でくっつき合って沈着し、これが脳細胞を破壊すると考えられています。要するに異常プリオンは真の意味で自己増殖を行っているのではなく、元から生体にある正常プリオンを自分と同じ形に変形させることによって仲間を増やしていた、というわけです。

 このプリオン学説の提案者プルシナーは1997年、ついに念願のノーベル医学生理学賞を、単独受賞という最高の形で手にします。しかしこれで狂牛病の謎がすっかり解けたのかといえば、実はそうでもないのです。まず肝心の、異常プリオンがどのようにして正常プリオンを変形させるのか、詳しい分子レベルでの機構はまったくわかっていません。

 また、そもそも生体が何のためにプリオンタンパク質を作っているのかも大きな謎です。あらゆる動物が揃って意味もなくプリオンタンパクを生産しているわけがありませんから、実際にはプリオンには何らかの役割があるはずなのですが、これも今のところ明らかになっていません。

また、食事から取り入れたプリオンがなぜ消化されないのか、普通大きな分子は入り込めない脳にどうやって到達するのか、正常プリオンは全身にあるのになぜ脳だけが破壊されるのか、タンパクの寿命は数日しかないのになぜ発病まで20年もかかるのかなどなど、現代科学をもってしてこんなにもわけのわからないことがあっていいのかと思うくらいに、いまだプリオンの周辺は謎だらけです。というわけでプルシナーのノーベル賞は少なくとも「なんだか中途半端なところで出てしまったな」という感は拭えないところで、あまりに強引かつ露骨に賞を狙いに行った彼の人柄とも相まって、近年で最も批判の多い受賞となっています。

 2004年に至り、プルシナーは「Science」誌に「プリオン説の最終証明」と銘打った論文を発表しました。試験管内で作った異常プリオンを投与することにより、マウスにスポンジ状脳症を発生させることに成功したというものです。ただしこの実験には様々な不備も指摘されており、プリオン説に対する根強い反対意見を完全に断ち切るには至っていません。このあたりについては講談社ブルーバックス「プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー」(福岡伸一著)をご覧下さい。福岡氏はこの本で狂牛病の原因としてウィルス説を唱えており、論旨にはやや強引な面もあるものの、科学読み物としての面白さは一級品です。


 狂牛病の問題に関しては、その後もアメリカ産牛肉の禁輸などをめぐって激しい論議が続いているのはご存じの通りです。実際のところ、もう牛肉を食べても大丈夫なのでしょうか?これは非常に難しい問題で、識者の間でも大きく意見が分かれます。国連大学副学長の安井至氏は「現在の感染者数から推計すれば、日本人が牛肉をいくら食べてもvCJDにかかる確率は限りなくゼロに近い」と述べていますし、プルシナーの下でプリオン研究に大きな功績を挙げた金子清俊氏は「自分はアメリカ産牛肉を食べない」と発言しています。

 安井氏の発言にある通り、狂牛病の発生数と人間でのvCJD患者の数を比べると、人間にBSEが感染する確率は極めて低いと考えることは可能です。この意味で「リスクは極めて低いのだから、いいかげんに牛肉禁輸を解禁せよ」というアメリカ側の主張は、全く筋の通らないことではないのです。

 ただ、これはプリオンの専門家でも何でもない筆者の意見、というより気分なのですが、まだ今のところは狂牛病に対する監視の目をゆるめないでほしい、と思っています。数字上感染のリスクは極めて低いとしても、この病気には前述したようにわからないことがあまりにも多く、これからどう展開するか予断を許しません。感染すれば死亡率100%で、治療法ができる見込みもまだないとなると、今の段階で全頭検査などの対策を打ち切るのはあまりにも気持ち悪いように思うのです。


 生物学の問題、経済の問題、政治の問題、食の問題、医療の問題。ここまで人類に数多くの問題を突きつけた分子は、おそらくかつてなかったことでしょう。最近の研究ではアルツハイマー病なども、プリオンに似たβアミロイドというタンパクの蓄積によって起こるという説が有力になっています。タンパク質によって作られ、タンパク質によって生かされている人類にとって、こうした異常タンパク質の出現は避け得ないリスク、永遠の課題であるのかも知れません。それにしても我々はこの身のうちに、なんというやっかいな敵を抱え込んでいるのでしょうか……。

 

参考文献 「死の病原体プリオン」 リチャード・ローズ著 草思社

       「タンパク質の反乱」 石浦章一著 講談社


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