Molecule of the Week (35)

究極の不斉触媒?プロリン

 何度も述べている通り、あらゆる生命を実際に動かしている化合物はタンパク質であり、そのタンパク質を分解すれば20種類のアミノ酸にたどり着きます。つまりアミノ酸は、我々の体内や自然界全体、もちろん研究室の試薬棚にもいくらでもある、極めてありふれた化合物ということになります。

 そのアミノ酸のひとつプロリンが今、有機化学の世界で最も熱い注目を集める分子となっています。そのきっかけとなったのは、「アルドール反応」の研究からでした。

アルドール反応は2つのカルボニル(C=O)化合物が結びつく反応で、原理的にも応用面からも「有機化学の基本中の基本」といえる極めて重要な反応です。この反応では2つの不斉点ができるので、何も工夫せずに反応を行えば4種類の異性体ができることになります。これを制御してほしい異性体だけを作る研究はいわば有機化学の王道で、これまで数多の研究者が様々に技巧を凝らした方法を発表してきました。

アルドール反応概念図。4種類の異性体が生成しうる。

 ところが2000年になり、極めて単純な化合物であるプロリンが、アルドール反応の非常に有効な触媒になることが報告されたのです。しかも2種類のカルボニル化合物と少量のプロリンとを水中でかき混ぜるだけという恐ろしく単純な操作で、今まで難しかった不斉点の制御がほぼ完璧に行えるというのですから、この分野の研究者が唖然としたのも無理からぬところでした。

 この反応は当然世界の研究者の注目を集め、ここ数年有機化学のジャーナルには毎週どこかにプロリン関連の論文が掲載されているというほどの活況を呈しています。応用範囲もあっという間に拡大し、もはやプロリンに不可能はないのだろうかと思わせるほどです。実験操作は中学生でもできるほど単純で、試薬は安全かつ極めて安価、有毒な有機溶媒や重金属の廃棄物も出さず、収率も選択性も完璧に近いというのですから、これこそまさしく21世紀の反応と呼びたくなります。

 研究の過程で当然プロリン以外の類似化合物も試されていますが、最も単純なプロリンが一番よい結果を挙げているケースが多いのは面白いことです。プロリンの5員環を6員環に置き換えた化合物(ピペコリン酸)を使うと、選択性が下がるどころか反応そのものが進行しない場合まであるといいますから、これには何やら神秘的なものさえ感じてしまいます。

想像をたくましくすれば、生命の発生以前、その誕生に必要な複雑な有機分子が出来上がるのに、これらプロリンを介した反応が関与していたのではないか、というようなことも考えられるでしょう。いずれにせよこれからもプロリンの化学はさらに拡大し、各方面に影響を及ぼしていくのは間違いないと思われます。

 とはいえ、実はプロリンを用いたアルドール反応の原型はすでに1971年に発表されており、各種教科書にも載るほど有名な反応でした。目の前にヒントがあり、試薬も触媒もどこにでもある極めてありふれたものであったにも関わらず、プロリンの真価は30年間もの間陽の目を見ることなく眠っていたわけです。有機化学は完成された体系であり、もはや大きな発見などは残っていないという人もいますが、実はまだまだ驚くような可能性がこの分野には残されているのだということを、この反応は改めて教えてくれているようです。

 

 関連リンク:アミノ酸・ペプチド・タンパク質(2)〜アミノ酸の世界〜

 総説:有機合成化学協会誌 63, 464 (2005)  同 63,709 (2005)

 

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