Molecule of the Week (5)

salvarsan(?)

 ☆サルバルサン・95年目の決着

 20世紀初頭、ドイツの化学者Ehrlichは細菌を選択的に染める色素を研究していました。ある日彼は、動物細胞を染めずに細菌だけに作用する染料があるのだから、人体に影響を与えずに、感染している細菌だけを殺す色素があるかもしれないという可能性に思い至ります。弟子の秦佐八郎とともに多数の染料を合成して試験を行った結果、ついにヒ素(上図紫色)を含んだ606番目の試料が梅毒スピロヘータに有効であることを発見しました。この化合物は「救う」(salve)+「ヒ素」(arsenic)から「サルバルサン(salvarsan)」と名付けられ、当時最も恐れられた難病である梅毒の治療に大きな力を発揮しました。

 ところでEhrlichが与えた上図の構造式では、中央にヒ素-ヒ素の二重結合が存在しています。実は後の研究でヒ素など重原子は多重結合を作りにくいことが判明しており、この構造式には後世多くの疑問が提出されていました。

 ごく最近、ニュージーランドのNicholsonらはサルバルサンの質量分析データを詳細に検討し、やはりEhrlichの構造式は間違いであったことを突き止めました。正しくはサルバルサンは単一化合物ではなく、主に下のような環状3量体と5量体の混合物であるらしいとのことです。体内ではこれが酸化分解され、単量体となって働くことがわかっています。

 ヒ素化合物であるサルバルサンは毒性も強く、その後の化学療法の主役の座をペニシリンなどの優秀な抗生物質に譲りました。登場から95年目にして正しい構造が確定されたサルバルサンは、今は化学史の殿堂の中で静かな眠りに就いています。

 Angew. Chem. Int. Ed. 2005, 44, 941 N. C. Lloyd et al.

 

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