☆シクロファンの世界(1)

 以前も取り上げた通り、ベンゼン環をはじめとする「芳香環」の化学は有機化学の花形です。今回はその芳香環にさらに大きな環を取り付けた形の分子、シクロファンの化学について語っていきましょう。今回もやや高度な内容に触れますが、細かいことは抜きにして美しい分子構造を鑑賞していただくだけでも十分かと思います。

 シクロファンという言葉の定義を言えば、「分子自体が大きな輪の形をし、かつその輪の構成成分に芳香環が含まれている環状化合物の総称」ということになります。この定義から言えば非常に広い範囲の化合物が該当することになりますが、普通シクロファンの化学といえば大きく2つ、「小さなシクロファン」と「大きなシクロファン」とに分類できると思います。

極めて大ざっぱに言えば前者はひずんだベンゼン環についての化学、後者は空洞に小分子を取り込む能力を調べる分野と言えるでしょうが、まあ言葉でややこしい説明をするよりは実例をたくさん見ていただく方が早いと思いますので、まず今回は前者「小さなシクロファン」の化学について見ていきましょう。

 ベンゼン環(いわゆる「亀の甲」)は正六角形分子であり、平面上に6つの炭素原子が並んだ時に最も安定となります。ではこの平面を無理にねじ曲げてやったらその性質はどう変化するか──これは古くから興味を持たれていたテーマです。

この分野の嚆矢となったのは1949年にICI社の研究陣によって発見され、1951年にD.J.Cramの手によって合成された化合物、[2,2]パラシクロファンです。ご覧の通り、2枚のベンゼン環が炭素2つのブリッジによってつながったような構造です。

[2,2]paracyclophane

 [2.2]パラシクロファンは安定な分子ではありますが、分子構造を詳しく解析するとベンゼン環が約11度ほどねじ曲げられ、舟型になっていることがわかります。橋かけの位置を変えたもの、橋の数を増やしたものなども合成され、ひずみが大きくなるほど分子が不安定になることが確認されています。

[2,2]metacyclophane, [2,2,2,2](1,2,4,5)cyclophane

 橋かけの炭素を1つだけにするのはさすがに無理だろう……と思っていたら、これも合成されているのだそうです(ただし極めて不安定)。特殊な置換基をつけて安定にしたものを解析した結果、ベンゼン環の折れ曲がりは24度にも達していることがわかりました。

[1,1]paracyclophane

 ベンゼンをどこまでねじ曲げられるかという試みは他のタイプのシクロファンでもなされています。下のようなパラシクロファンでは橋かけ炭素の数が5個というのが極限と思われていましたが、近年になってこれも橋の部分に特殊な置換機を導入すれば4炭素での架橋も可能であることが示されました(ただしこれらもまた非常に不安定で、低温でのみ存在が可能です)。

[5]paracyclophane, シアノ基を導入して安定化を図った[4]paracyclophane

 6箇所全てで橋かけした究極のシクロファン、名付けて「スーパーファン」はBoekelheideらの手により1979年に合成が達成されました。ひずみは20度にも達しており、何かパンパンにふくらんだビニール風船をでも連想させるような構造です。

[26](1,2,3,4,5,6)cyclophane

 この金字塔とも言える合成から17年後、1996年には九州大の新名主らによって橋かけの炭素の数を3つにしたスーパーファンも合成されています。

 この[3]スーパーファンの面白いところは、光を当てることにより上下のベンゼン環がくっつき合い、上右のような分子になることが予想されている点です。三角柱、立方体、五角柱の分子は合成されていますが、六角柱は誘導体も含めていまだ合成されていませんので、完成すれば初めての例になりますが、さてどうなるでしょうか?

 鉄原子の上下を2枚の正五角形が挟んだ分子は「フェロセン」といい、これもベンゼンなどと同じ芳香族化合物に分類されます。この正五角形同士を5個の炭素鎖で橋かけした「スーパーフェロセノファン」は1986年、山川らによって合成されています。

ferrocene(左)とsuperferrocenophane(右)

 鉄原子が炭素骨格によって完全にパッケージされたこの骨格は、金属内包フラーレンを連想させます。Rubinらは実際に炭素10個の橋を持つスーパーフェロセノファンからフラーレンへが作り出せるのではと考えているようですが、今のところこれはまだ実現していないようです。しかしこれは極めて面白いアイディアで、実現すれば今まで合成できなかった金属内包フラーレンがいろいろと作り出せることになるので、今後の成り行きが期待されるところです。

 今まで合成の難しかった分子の作り方がひとたび確立されると、それを応用した構造が次々と産み出されます。例えば[2,2]パラシクロファンの合成法を応用して、下のような美しい分子がいろいろと作り出されています。実用的(?)な分子としては、シクロファン骨格を組み込んだ不斉配位子、PHANEPHOSなどというものも作り出され、ある種の不斉反応で好成績を挙げています(不斉配位子に関してはこちらをどうぞ)。

左はtrifoliaphane。「trifolia」の名はクローバーの学名から

不斉配位子PHANEPHOS。

 最後に、シクロファンを層状に積み上げた形の分子を紹介しておきましょう。1972年ころに大阪大学の中崎教授が作り出した化合物で、その名も何と「チョウチン」です。

[3]chochin, [4]chochin

 これを提灯に見立てるには少々想像力が必要な気もしますが、堅苦しい学会誌に「Synthesis of [4]chochin」などと書かれているのを見ると思わず笑ってしまいます。この正面切った命名のセンスは、やはり大阪の人のものでしょう。

 なお最近になって、ドイツ・ハンガリー連合チームがこれをもう少し大がかりにしたような6段重ねの錯体を合成しましたが、こちらは「Big Mac」とあだ名されることになりました(Chem. Eur. J. 2003, 9, 3741)。やはり同じ分子を見ても、国柄によって連想するものは違うということでしょうか。なお、この論文には「この著者たちはマクドナルド社とは関係はない」という断り書きがわざわざつけられていました。

 ということで次は「大きなシクロファン」の話ということになります。ではまた次回。

 

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