国道156号線を行く・その4

 というわけで前回の続き。

 美濃市に続いては関市、ここは刃物の街として昔から有名なところである。土産物屋をのぞくと包丁やらナイフやらがずらりと並んでおり、何だか不思議な感じがする。近くには刃物メーカーとして有名な貝印の工場なんぞもあり、伝統ってのはこうやって受け継がれていくもんか、とちょっと感心する。


R156沿いに立つ刃物直売センター。

 ちなみに関市も最近武儀郡の各町村を吸収合併し、U字型の非常に変ちくりんな格好になってしまった。まあ財政なんかの都合上ある程度の町村がまとまることは必要なのかもしれないけれど、地域のつながりという面ではどうなんだろうかという気はする。

 関市という名称の由来は文字通りかつてここに関所が置かれていたからで、今もここはR156・R248・R418・東海北陸道がクロスする交通の要所である。そのR156とR248の交点、小屋名交差点には旧街道名を記した石碑が残されており、こういうのは道路好きとしてはちょっと嬉しい。ちなみに写真の後ろに映っているのは名鉄美濃町線の線路だが、この路線は2005年4月1日をもって廃止となった。交通システムの移り変わりというやつを実感させるポイントではある。


「左 郡上街道  右 飛騨街道」と刻まれた石碑。それぞれR156,248へ受け継がれている。

 ということでR156はついにファイナルステージ、岐阜市へと突入する。県道92号との分岐を過ぎると岐阜東バイパスに入り、4車線の広い道となる。ちなみにこの県道92号はR156の旧道で、現在の道で言えばR156はこの後R248〜R157のルートを経由してR21にぶつかって終わっていたようだ。こういうのは地元の古老(?)にでも聞くか、古い地図を探し出しでもしないと、たった30年前のことなのにすぐわからなくなってしまう。

 と、ここでちょっと寄り道し、ちょうど司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んだばかりでもあったので、岐阜市の名所・稲葉山城を訪ねてみることにした。斎藤道三と織田信長、戦国を代表する二人の梟雄が天下盗りを企んだ夢の跡である。

 岐阜市というのは面白いところで、濃尾平野の真ん中にぽこりぽこりと浮き島のように山がいくつかそびえ立っている。そのうちのひとつがこの稲葉山(金華山)で、道三はその山頂にどすっと城を構えてしまったわけだ。


実際見ると、よく当時の技術でこんなところにこんなものを造ったなと感心するよりあきれてしまう。

 山頂から町並みを見下ろすと、なるほどいろいろなものが見えてくる。ここらに商店街を造り、こっちに街道を引いて、ここらに関所を置き……と、楽しく構想を練ったんではあるまいか。彼の作った街は現在人口41万の県都岐阜市に成長し、整備した街道は幹線国道として多くの人車が行き交っている。一代での天下盗りは成らなかったものの、才気溢れる男にとって全てをデザインできた戦国の世は愉しい時代だったのではないだろうかという気がする。


金華山より見下ろす岐阜市街。中央下から斜めに伸びるのがR156、上方横に伸びるのがR21。

 ということでR156に戻る。道は岩戸トンネルで山をぶち抜き、岐阜市の中心市街地へと降り立つ。まるで首都高のような豪華版の高架道路で市内に下っていくと、なんだか飛行機で滑走路に舞い降りるような気分にさせられる。あとは一直線、日本海からはるばる旅してきたR156は大都市のメインストリートとしてその掉尾を飾る。


山をぶち抜き、市街地へと滑り降りる。

 最後は岐南インター交差点でR21(岐阜県瑞浪市〜滋賀県米原市)にぶつかり、R156の旅は終了となる……ように見えるのだが、法律的にはここからちょいと西に折れた「茜部本郷」交差点が起点となっている。バイパスが開通する以前の起点がそのまま残されたようだ。こういう見た目と法律上の終点が食い違うのはよくあることなわけだが、まあ実際上は岐南インターを起点と考えていいだろう。ここから太平洋岸、名古屋市への道のりは、豪勢な造りの国道22号にバトンタッチすることになる。


事実上の終点、岐南インター交差点。高架の道路は国道21号、この先は国道22号。

 というわけで全213.3kmの旅を終えた。距離的にもかなり長いが、変化に富んでいて中身もなかなか濃い路線である。

 一度精密な立体日本地図を見たことがあるが、特に中部の山岳地帯では谷筋に沿って国道が作られており、なるほど道というのはできるべきところにできているのだなと感心した記憶がある。このR156も庄川・長良川にぴったりと沿っていて、人間が造ったというよりも自然が道筋を決めた道路と言ってもいいかもしれない。

 本文中では触れなかったが、この路線は「桜街道」としても知られる。かつてこの道を走っていた国鉄バスの車掌・佐藤良二氏が、道沿いに自費を投じて1500本の桜を植樹して回ったのである。佐藤氏は47歳の若さでこの世を去ったが、その遺志は今も沿線を美しく飾っている。これを含め、R156というのはその沿道に生きた人、生きている人の息吹を感じさせる路線でもあるように思う。

 こうした情報を知ってから走ると、国道の旅はさらに深みを増すもんでもある。ドライブコースとしても観光道路としても生活道路としても重要なこの道、一度訪れてみてはいかが。

 

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