ということでR121ツアーの第2部である。栃木〜福島の県境に位置するのは山王峠。関東と東北を分ける他、中央分水嶺(雨水はここを境に太平洋側と日本海側に分かれていく)となる峠でもある。ここも今はトンネルが掘り抜かれていて通過は一瞬であるが、かつてはかなり厳しい峠越えを強いられていた。現在はこの旧道は残念ながら封鎖されていて通ることができなくなっている。

福島側のゆるやかな下り坂を降りきった辺りに「道の駅たじま」が現れる。このあたりは道幅も広く車も少ないのではっきり言って飛ばし放題であり、80km/hくらいで走っていても次々にぶち抜かれるくらいである。

道の駅たじま。峠を越えた後のちょうどよい休憩ポイントで、いつも混みあっている。ちなみに、真冬にここの出口で60度ばかりスピンしたことがある。怖かった。
非常にドライブしていて気分の良い道ではあるが、まあ付近には妙な看板もないではない。

しかし快適に飛ばせるのは夏だけの話で、冬場はシャレにならんくらいの大豪雪地帯である。筆者も一度冬場にここらを訪れたとき、坂道の50mほど下の方でワゴン車がスリップしてドブにはまっていたので、はっはっは愚かな奴よ、と笑いながらブレーキを踏んだところつるつるつるーっと滑り落ち、ワゴンの2mほど手前でようやく停止して肝を冷凍したことがある。ああなるとスタッドレスもABSもあったもんではない。みちのくをなめてはいかんのである。

田島町から会津若松までは大川(阿賀川)に沿って北上することになる。途中「塔のへつり」という、奇岩が連続する観光名所がある。自称「東北第一名勝」だそうであるが、言うほど凄いもんでもない(爆)。観光地に興味のない筆者はさっさとスルー。
下郷町湯野上でR118と合流し、会津若松まで重複区間となる。ここらのR118は平成5年のルートにより新たに国道昇格した部分なのであるが、なんでか知らないが余計な重複区間を作ってしまったためここらの標識は全て付け替えとなった。この結果どうなったかといえば、地元民は番号変更で混乱し、役所は余計な標識代がかかっただけ。誰に何のメリットがあってこういうことをするのか、役人のやることは謎だらけである。

というわけで表示の方はややこしいが、道の方は相変わらず快適に谷あいを北へと伸びてゆく。と、会津若松市に入ってしばらく、トンネルをくぐった瞬間忽然と大きな温泉街が出現する。これが会津芦ノ牧温泉で、旧街道の風情を感じさせてくれるなかなかよいところだ。

芦ノ牧温泉。「不況のせいでどうもねえ」と宿の主人はこぼしていたが、眺めといい風情といいなかなかのものであった。
この後R121は会津若松市街へと入り込んでゆき、だんだんとにぎやかになってゆく。まあ相変わらず表示の方はR118のままなのであるけど。

会津若松市内に残るR121オンボロ標識。よく見ると根元から支柱が折れており、ビニールひもではりつけにされてようやく立っているのである。こうまでされてるわりに、ここらはもうR118なのであるが……。
そうこうするうちに道は鶴ケ城の脇を抜け、会津若松市街地へ。ここらは以前一方通行の商店街がR121(+R118)として国道指定されていたが、最近一本隣の大町通りに国道が付け変わった……はずなのであるが、現地を見ると国道標識があるのは旧道の方だけである。どういうことなのかちと謎の残る区間だ。


鶴ケ城といえば白虎隊の悲劇……というわけで通りの名前も白虎通り。市内にはこの他にも歴史を感じさせる通り名がいくつかある。
会津若松に来て思うのは、「会津の酒」「会津の銘菓」「会津○○株式会社」と、やたら「会津」を名乗る看板が多いこと。逆に、「福島〜」という看板はほとんど見かけない。聞くところによればこれは会津の人々の中央に対するレジスタンスなんだそうである。幕末、会津藩は幕府に忠誠を誓い、最後まで勇敢に維新軍と戦いながら、武運つたなく敗れ去って結局は賊軍の汚名を着せられた。明治政府に危険視された会津藩は、廃藩置県の後福島県に組み入れられたが、誇り高い会津の人々はこれを潔しとせず、「会津」の呼称を大事に守り続けている、というのである。ほんとかうそかは知らないが、歴史を感じさせる会津若松の街を走っていると、なんとなくそのことを納得させられてしまう。

というわけでR121の旅は第3部へと続く。