☆ねじれたアミドの性質は?

 全世界に、学者が論文を投稿する学術誌はごまんとあります。しかしその中の最高峰といえば、やはり「Nature」「Science」が双璧であることは誰もが認めるところでしょう。実際この2誌のインパクトファクター(雑誌の重要度の指標)は他を圧して高く、両誌に載ったことがあるかないかで研究者としての評価が大きく変わるとまで言われます。

 残念ながら純粋な有機合成分野からこの2誌に載ることは非常に少なく、せいぜい1〜2年に1報程度というところでしょう。というわけで今までこの両誌に載った合成といえば、ドデカヘドラン・タキソール・ブレベトキシン・シガトキシン・ノルゾアンタミンなど、桁外れに難易度の高い化合物ばかりです。

 ところがつい最近、Natureに「2-キヌクリドン」という極めてシンプルな化合物の合成が掲載されました(Nature 441, 731-734 (2006)) 。下に示す通り、炭素が7つ、窒素と酸素がひとつずつという、一見どこにでも転がっていそうな分子です。ところが実はこのキヌクリドン分子は今まで一度も合成されたことがない、化学者にとって「夢の化合物」のひとつであったのです。しかしこの分子がなぜNatureに載るほど面白いものなのかを知るには、まずアミドという官能基の性質について知る必要があります。

2-quinuclidone

 アミドはこの世で最も普遍的な官能基のひとつです。例えばタンパク質はアミノ酸がたくさんアミド結合によってつながったものですから、我々の体はいわばアミド結合の塊であり、生命の働きはアミド結合が支えているともいえます。

 自然がアミド結合を生命の素材として選んだのは、ひとつにはこれが非常に丈夫な結合であるからです。アミド結合では下の図に示すように窒素原子から酸素原子へと電子が流れ込み、このためC-N結合は二重結合に近い性質を帯びます。このためアミドは似たような構造のエステル結合に比べても加水分解などに強く、少々のことでは切断を受けません。

 またアミドは二重結合に近い性質を持つため、基本的にこの結合は平面になり、またC-N結合は回転しにくい性質を持ちます。さらに窒素原子からは電子が酸素に向かって引っ張られ、プラスに近い電荷を帯びていますので、通常の窒素原子と違って水素イオンを受け取りにくく、塩基としての性質を示しません。通常のアミンとは異なるアミド窒素の性質は、こうしたことから説明ができます。

 さてアミド結合は平面構造をとるといいましたが、では無理やりにこれをひねってやるとこれらアミドの性質はどう変わるのか?これは興味深いテーマで、実は半世紀以上も前から様々なトライアルがなされていました。それをついに実現したのが、今回Stoltzらによって合成された2-キヌクリドン分子であったわけです。上の画像を見ていただければわかる通り、キヌクリドン分子では本来平面に乗るべきアミド結合が、ほぼ垂直にねじられてしまっているのです。

 実際に合成された「ねじれたアミド」は、やはり一般のアミドとは全く違った性質を示しました。2-キヌクリドンは水に会うと簡単に加水分解され、環が開いてしまいます。また普通のアミド窒素が塩基性を示さないのに対し、この2-キヌクリドン分子は酸との塩を作ることがわかっています。これらの性質は全てアミド結合がねじれており、上図に示したような「二重結合的性質」を持ち得ないためと説明されます。

 実は今までにもこの分子の合成は様々に試みられてきました。1940年前後にWoodward教授が、当時合成に取り組んでいたキニーネの骨格からこの構造を思いついて興味を持ったのがおそらく最初と思われます。彼は一番弟子に当たるWasserman教授にこの化合物の合成を命じたのですが、多くの努力が払われたにも関わらず合成には成功しませんでした(今回の論文が載った同じ号に、Wasserman教授による解説が付けられています)。この分子が水によって分解してしまうところがネックになったのですが、今回Stoltzは水を使わない条件で処理することで初めてこの分子を捕まえたというわけです。どうやってこの骨格を組み上げたかについてはここではあえて伏せ、本論文を読んでみてのお楽しみということにしておきましょう。


 さてこれらはもちろん面白い結果ではありますが、これが「Nature」に載ったのは筆者にとって少々意外なことでした。構造を固定することにより性質が変わる例は他にも報告されており、今回のキヌクリドンの性質もある程度予測できたようにも思うからです。

 こうした例のひとつとしてトリプチセンのケースがあります。炭素原子に3つのベンゼン環がついたトリフェニルメタンは中央炭素に付いた水素が引き抜かれやすく、陰イオンやラジカルを生成しやすい性質があります。これは3つのベンゼン環が共鳴によってイオンやラジカルを安定化するからで、安定になった時分子全体は平面の構造をとります。逆に言えば平面にならないとこれらを安定化をすることができないわけです。

トリフェニルメチル(トリチル)基。中央炭素から水素が引き抜かれ、平面になったところ。

 ところが下に示すトリプチセン分子では3つのベンゼン環が垂直方向に固定されており、一見よく似た構造でありながら陰イオンやラジカルを発生しにくくなっています。トリプチセンの水素原子(白)はちょっとやそってのことでは引き抜かれることがなく、いろいろな意味でトリチル基とは別物の性質を示すのです。

triptycene

 このように、ねじれた構造というものはいろいろと興味深い性質が出てくるものです。では炭素-炭素の二重結合をねじるとどうなるのか?これは非常に興味深い問題ですが、これについて面白い分子が提案されています。本来平面に乗るべき二重結合が90度にねじられた分子、その名も「オルソゴネン」です(「orthogonal」は「直交した」の意味)。

orthogonene

 ご覧の通り中央の黄色で示した二重結合がまわりの堅固な骨格によって90度にねじられ、固定された構造です。これは1984年にMaierらによって提案された構造(Tetrahedron Lett. 1984, 40, 2799)ですが、果たしてこれが安定に存在しうるのかどうか議論を呼びながらも、いまだ合成はなされていないようです。これをどうやって作るか――となると筆者あたりの頭脳では何もいいアイディアは浮かんできませんが、有機化学者にとって興味深い構造であるのは確かです。Natureに載るかどうかは保証の限りではありませんが、どなたかチャレンジしてみる方はおられないでしょうか?

 2-キヌクリドンのC&ENによる解説記事

 

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