☆ステロイドの話(1)

 有機化学を専門としていないみなさんでも、「ステロイド」という言葉にはおそらく聞き覚えがあると思います。しかしそこから連想されるのは、アトピーのリバウンド、筋肉増強剤などあまり良くない印象なのではないでしょうか。しかしながらその働きは広汎に及んでおり、決して一口で語れるようなものではありません。今回はそうしたステロイドの光と影についてお話しましょう。

 ステロイドは一つの化合物を指す言葉ではなく、下のような6-6-6-5の4つの環がくっついた骨格を持つ化合物の総称です。人間を含む哺乳動物、昆虫、植物、細菌に至るまでありとあらゆる生物がステロイドを生産し、様々な形で利用しています。今回登場する分子はどれも一見似たような構造ですが、ちょっとした構造の差によって大きく働きが違ってきます。

sterane skelton

 この骨格、体内ではなんとスクアレンという紐のような長い分子から合成されます。これは長らく仮説のままでしたが(Stork-Eschenmoser仮説といいます)、大変な苦労の末にJohnsonらがほぼこれに近い形をフラスコ内で再現することに成功しました。あらゆる有機反応のうちでも最も芸術的なものの一つでしょう。こうしてまずラノステロールができます。

2,3-エポキシスクアレン(左)とラノステロール(右)

 ラノステロールはさらに変換を受け、コレステロールへと変化します。コレステロールもまた動脈硬化などの原因となる悪名高い物質ですが、様々なホルモンやビタミンDなどの原料、また細胞膜の成分として人体に欠かせない役割を担っています(よくコレステロール値が高い食品として卵やバターが槍玉に挙がりますが、人間の体はこれらから摂るよりもたくさんのコレステロールを脂肪から作っています。コレステロールを減らしたいなら、卵よりも脂肪分を控えた方が賢明です)。

cholesterol(左)とビタミンD2(右)

 ビタミンDはコレステロールにそっくりですが、4つの環のうちの1つが開いた形になっています。この環が開く反応は紫外線によって引き起こされます。小さい頃に十分に日光に当たっていないと「くる病」(ビタミンD不足によって起きる)にかかりやすくなるのはこのためです。


 コレステロールから作られるホルモンの一つに、副腎皮質という場所で生産されるコルチゾンという物質があります。コルチゾンは外傷、やけど、細菌、精神的ストレスなど様々な障害に出会った時に放出され、生命を外敵から守る大きな役割を担った分子です。

cortisone

 研究を進めるうち、このコルチゾンに強力な抗アレルギー作用があることがわかってきました。特に難病リウマチ性関節炎に著効を示すことがわかり、発見者はノーベル医学生理学賞を受賞することになります。これを元にたくさんの誘導体が合成され、現在では様々な強さ、効能を持つ、100種を越える抗炎症ステロイド剤が市販されています。

 やがてステロイド剤はアトピー性皮膚炎にも適用されることになりますが、良くも悪くもこれが「ステロイド」という名前を有名にしたのはみなさんもご存じの通りです。ステロイド剤は細胞に入り込み、その生活機構を抑制することで炎症を鎮めます。しかし同時に皮膚細胞の免疫力を弱め、細菌などへの抵抗力が失われることになります。皮膚組織自体もステロイドによって弱くなり、じくじくと皮膚が荒れてきます。

 ステロイドは元が体内にあるホルモンですから、ずっと塗り続けていると「今はホルモンの量は十分だな」と体が判断し、生産をやめてしまいます。そしてステロイドを塗るのをやめたとたんに体内のホルモンが全くなくなり、一挙に症状が悪化します。これがいわゆるリバウンドです。ホルモンバランスの狂いは、タンパク(筋肉など)生産の低下、ひどい時には女性の生理の停止など重大な悪影響をもたらします。

 とはいえ、ステロイド剤を全面的に悪者にしていいかというとそういうわけにもいきません。一時的には劇的に効くのも事実ですし、軽い皮膚炎なら簡単に完治することもあります(筆者も薬品による皮膚炎にかかった時にお世話になりました)。また、強度のアトピーには今のところステロイド以外に効く薬はなく、患者の精神的ストレスを考えた場合どうしてもステロイドに頼らざるを得ないケースもあります。先にも書いた通りステロイド剤と一口に言っても強さも副作用も様々であり、これらをうまく使い分けることで対処できるケースは少なくないでしょう。実際面から見て、まだまだステロイド剤の必要性はなくならないと思われます。

 ちなみに、かつてのベストセラー「買ってはいけない」などでは、「ステロイドは免疫活性を弱める薬剤であるから、体の自然治癒力を低下させる。このためアトピーが治るはずがない」という論法が展開されていました。しかしこれは非常に単純な暴論です。アトピーは免疫系の暴走によって起こる病気ですから、これを鎮めることによって症状を軽減させることが可能です。最近登場したプロトピックという薬はまさに免疫を抑制する薬ですが、顔を中心としたアトピーの症状に強力な効果を発揮します。


 とはいえやはりステロイドは諸刃の剣、それもきわめて強力な剣であることに変わりありません。最初に便利な性質が発見され、広く使われるようになってから弊害が明らかになり、しかしあまりの便利さにもはや抜き差しならず廃止することがなかなかできない。このパターンはDDTやフロンなどとそっくり同じです。ステロイド剤は、いかにも現代の化学が抱える問題の象徴的な存在という感じがします。

 ステロイド化合物の重要なジャンルとして、性ホルモンがあります。次回はこの性ホルモンにまつわる話をしてみましょう。

 

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