☆炭素のタペストリー

 当サイト・有機化学美術館は、2008年12月28日をもって、満10周年を迎えました。今数えてみたら163項目、思えばたくさん書いてきたものです。ということで10周年記念、164番目ののネタは、いかにも有機化学美術館らしい――言ってしまえばマニアックな題材を書いてみましょう。

 炭素の最も一般的な同素体・グラファイトは、蜂の巣状にどこまでもつながった炭素のシートが、何層にも積み重なったものです。近年、この一層だけを剥がしてきた「グラフェン」が面白い性質を持つことがわかり、様々に研究が進められています。


グラファイトのシート(グラフェン)

 しかし、炭素が無限につながった平面構造には、このグラフェン以外にも多くの可能性が考えられるはずです。そうした同素体が実現したら、グラファイトやダイヤモンド、フラーレンとも違った新しい素材の世界が拓けることでしょう。では理論的にどんなものが考えられるか、それらはどこまで実現可能でしょうか?

 数学の分野では、正多角形による平面充填が遥か昔から考えられています。1種類の正多角形で平面を埋め尽くすことができるのは、正三角形・正方形・正六角形の3種類です。


正多角形によるタイル貼り(画像はWikipediaより)

 この正六角形による充填を炭素で実現したのが、グラフェン構造に他なりません。では他の2つはどうか?正三角形による充填は、原子価が6つないと無理ですから、これは論外です。では正方形はどうかといえば、これは原子価が4つですので理屈の上では実現可能ですが、本来正4面体構造をとるべきsp3炭素を平面に押し込めるのは、ひずみが大きすぎて不可能です。この基本単位となる「フェネストラン」構造(下図左)でさえ、いまだ合成されていません(参考:平面炭素は可能か?)。結局可能性があるのは、各頂点に3つの多角形が集まった平面充填を、sp2炭素で置き換えた形のものに限ることになります。


「田」の字型炭化水素・フェネストランは未だ合成されていない

 2種類以上の正多角形を組み合わせた形の平面充填は、8種類あることが証明されています。そのうち前記の条件を満たすものは、下の3種類ということになります。


炭素で実現可能性のある平面充填3種。左:正12角形+正三角形、
中:正八角形+正方形、右:正12角形+正六角形+正方形

 まず左の正12角形+正三角形のものは、やや問題が大きいと思われます。ひとつにはsp2炭素の理想値である120度から大きく外れた60度・150度という角度を取らざるを得ないこと、そしてもう一つは12員環部分が電子的に不安定であることが予想される点です。

単結合と二重結合が交互につながって環を成した「アヌレン」では、π電子数が(4n+2)個の時に芳香族となって安定化し、4n個の時は反芳香族化して不安定化されます。このルール(Huckel則)からすれば、12員環アヌレンは不安定になるはずです。


[12]アヌレン。反芳香族性を示し、極めて不安定。

 また、最近この3員環同士をつないだ部分構造に近い化合物(下図、中央紫色部分)が合成されましたが、これは極めて不安定であるため、周りを大きな置換基(黄緑色)で覆って保護することでようやく単離に成功しています。よってこの12角形+三角形の敷き詰めは、残念ながら安定なものにはなりえなさそうです。


最近合成されたビス(シクロプロペニリデン)

 では正八角形+正方形の格子はどうか――。これも先ほどのHuckel則からすれば、8員環・4員環とも反芳香族性を示して不安定になり、合成は不可能と考えられます。実際、シクロブタジエンは極めて不安定ですぐ二量化してしまい、単独で取り出されたことはありません。


シクロブタジエン

 ただし、シクロブタジエンはコバルトなどの金属と安定な錯体を形成することが知られています。これは金属原子からシクロブタジエンに2電子が供給され、6π電子系となって芳香族性を示し、安定になるというものです。実際この錯体はFriedel-Crafts反応を受け付けるなど、芳香族としての性質を示します。


シクロブタジエン-コバルトトリカルボニル錯体。

 というわけでこれを並べれば安定な正八角形-正方形の格子が作れる可能性があります――が、まあ立体障害や電子的反発もあるので難しいでしょうか。


間に三重結合を挟むなどすれば、可能性はあるかもしれません。

 というわけで、この中で少しでも可能性がありそうなのは、正12角形-正六角形-正方形のグリッド(下図)ということになりそうです。

 ということで続きはまた次回。
 


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