Molecule of the Week (48)

 

ハイペリシン(左)とハイパーフォリン(右)

 セイヨウオトギリソウという名の、黄色い花をつける植物があります。花や葉をつぶすと赤い汁がにじみ出ることから、西洋ではこの草を斬首された聖ヨハネに見立て「Saint John's Wort(草)」と呼んでいるそうです。この赤い汁には古くから止血剤・強壮剤・結石治療剤などとしての薬効があることが知られ、近代医療に取って代わられるまで長い間民間療法として用いられてきました。

 ところが1980年代になって、このエキスに抗鬱作用があることが報告され、一時は省みられなくなった薬草は再び大きな脚光を浴びることとなりました。ドイツでの研究では抗鬱剤のベストセラー「プロザック」とほぼ同等の作用があるともされており、さらに不眠などの副作用も少ないことからドイツでは精神科医でもごく普通に処方されるようになってきているとのことです。アメリカでもTV番組で紹介されてから爆発的に売り上げが伸びたとのことで、このあたりの事情は日本と同じことのようです。

 この薬草の有効成分はハイペリシン(上左)で、ちょっと天然物と思えないような8環性の珍しい骨格を持ちます。この化合物が鬱病に効果があるのは、「モノアミン酸化酵素(MAO)」という脳内の酵素の働きをブロックする性質によります。MAOはセロトニンなどの脳内物質の分解(代謝)に関わっており、この働きを調整することによって脳内物質のバランスを整えるものと考えられています。これは化学合成の抗鬱剤と同じ原理です。

 また、同じ草に含まれるハイパーフォリン(上右)にも脳内物質調整作用があるという報告もあり、セイヨウオトギリソウの作用はあるいは両者の相乗効果によるものかもしれません。自然というものはやはりよくできているものだ、と思わされます。

 

 もちろんハーブだけでなく、化学合成の抗鬱剤の市場もまた2兆円前後という巨大なものです。これだけの売り上げの背後にあるのは、潜在的なものも含めれば労働者人口の5%ともいわれる、鬱病に苦しむ人々たちの姿です。IT、グローバル化などという威勢のよいかけ声の一方で増え続ける鬱病患者の姿を見ていると、文明とは、進歩とは一体何なのであろうか、という疑問を感じぬものでもありません。

 

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