Molecule of the Week (46)

 

タミフル(リン酸オセルタミビル)

 鳥インフルエンザに関する話題がマスコミをにぎわせています。現在東南アジア付近を中心に発生している強毒性の鳥インフルエンザウィルス(H5N1型)が近い将来変異を起こし、ヒトからヒトへの感染能を獲得してしまうのではないかと恐れられているのです。現在は鳥からヒト、あるいは他の動物を経由したと見られるルートでヒトの感染が確認されており、すでに少なくとも66人の死亡が確認されています。

1918年から1919年にかけて流行したインフルエンザ(スペイン風邪)は全世界の人口の50%以上が感染し、5000万人もの人が犠牲になったと推定されています。飛行機など交通手段の発達した現在では拡大速度は当時の比ではないと考えられ、一地域にとどまらない全世界的な対応が必要とされます。

 インフルエンザ対応策の基本はワクチン療法ですが、これはウィルスが出現してからでないと作成できず、また供給に半年ほどの時間を必要とします。その間のつなぎとして期待されているのが、ロシュ社から発売されている抗ウィルス剤「タミフル」(上図)です。現在世界各国がタミフルの備蓄を進めており、日本でも2500万人分を確保する計画となっています。

 タミフルはウィルスが増殖するのに必要な「ノイラミニダーゼ」という酵素の働きを抑え、その増殖を抑制する薬です。十分な量のタミフルを確保することができれば、鳥インフルエンザによる死者・入院患者は3分の1に減らせるという予測もあり、現在唯一の特効薬とみなされています(もう一つの有力な抗ウィルス剤アマンタジンは、すでに耐性ウィルスが多く出現してしまっています。中国で鶏の餌に混ぜて大量に使用したのが原因の一つとされ、この対応は国際的な非難を浴びました)。

抗ウィルス剤アマンタジン

 そのタミフルに、最近になって副作用の問題が浮上してきました。インフルエンザ患者の少年がタミフル服用後に自らトラックに飛び込むなどの異常行動を起こし、2名が死亡したというものです。また他にも12名ほどが服用後に亡くなっているという報道もあり、これらについてもタミフルとの因果関係が疑われています。ただし異常行動はインフルエンザ脳症によるものという見方もあり、今のところは「これらの症状がタミフルの副作用である可能性を否定はできない」といった段階です。

 筆者の個人的な意見を言えば、国民に大量に投与されることになるかも知れないタミフルについてきちんと報道が行われ、危険性について周知を行うことはよいことだと思います。しかし、関連があるかどうか判明していない段階で死亡例のみを大きく取り上げ、必要以上に「タミフルは危険な薬剤」という印象を与えるような報道は問題だと感じます。

 タミフルに限らず、副作用のない薬というものは存在しません。どんな薬にも体に対するメリットとデメリットが必ずあり、その使用は両者のバランスを慎重に計って行われるべきものです。メリットの方が十分に大きいと判断された患者にのみ投与を行い、デメリットを最小限に減らす努力をするというのが本来の薬との付き合い方でしょう。

 これは車に乗る場合に置き換えて考えるとわかりやすいと思います。自動車は便利な乗り物ですが、一方で交通事故の危険も常につきまといます。それでも皆が車に乗るのは、事故のリスクをみながよく知った上で、利便性の方がはるかに大きいと判断しているからでしょう。そして事故のリスクを最小限に減らすため道路や信号が整備され、運転手には教習所での訓練が義務づけられているわけです。これは医薬においても同じことです。

 現段階での情報を見れば、これまで数百万の人に投与して十数例の「関連があるかもしれない」ケースが報告されているだけであり、タミフルを使用するメリットの方がはるかに上回ると見てよいのではないでしょうか。その上でリスクをきちんと分析し、患者の体質・症状などに応じてベストな投薬の仕方を徹底していく、というのがタミフルの、また全ての薬剤の正しい使い方だと考えます。「インフルエンザは寝ていれば治るのだから、タミフルなど必要ない」といった論調もありますが、並みのインフルエンザと鳥インフルエンザは恐ろしさが全く別物の病気だということはもっときちんと報道されるべきでしょう。

 

 タミフルに関してはこれまで日本が全世界の8割を消費してきたこと、そのために世界で備蓄が必要となった現在、他国に遠慮せざるを得ず輸入が進んでいないことなども問題となっています。またタミフルとて万能の薬ではなく、ベトナムですでにタミフル耐性のウィルスが発生しているという報告もあります。ことがことであるだけに、タミフルだけに頼りきりでよいのかといった点も含めて、今後さらなる議論と対策が必要となりそうです。

 

 今週の分子バックナンバー

 有機化学美術館トップへ