Molecule of the Week (23)

Lorenzo's oil (erucic acid triglyceride)

 副腎白質ジストロフィー(ALD)という、極めて珍しい遺伝性の難病があります。この患者は生まれつき体内の脂肪酸を分解する酵素を持っていないため、脳に長鎖脂肪酸(炭素数24〜26)が蓄積し、これがミエリン(神経を包む「さや」のような器官)を溶かして神経の機能を失わせてしまうのです。5歳くらいに発病し、徐々に体機能が衰えて2年ほどで悲惨な死に至る非常な難病です。

 1984年、ワシントンに住むロレンツォ・オドーネ君という少年がこのALDを発症します。治療のすべを持たない医学に絶望した彼の両親は、生化学に何の知識もない銀行員の身でありながら必死に医学論文を読んで勉強し、試行錯誤の末についにこの病気の特効薬を発見してしまうのです。この薬は少年の名にちなんで「ロレンツォのオイル」と名付けられ、92年には同名の映画も公開されて大きな反響を呼びました。息子の治療に全てを捧げる両親の情熱は素晴らしく、薬作りに携わる者なら(もちろんそうでない人にも)必見の名作です。

 「ロレンツォのオイル」は炭素数22のエルカ酸と、18のオレイン酸という2種の脂肪酸の1:4混合物です(注1)。これらはそれぞれ菜種油・オリーブ油の主成分であり、ミエリンに対して有害な炭素数24・26の長鎖脂肪酸によく似ていながら体に害を与えません。これを与えることによって「今は十分な長鎖脂肪酸がある」と酵素を「だまし」、それ以上有害な脂肪酸を合成させなくするというのが「ロレンツォのオイル」の原理です。

 映画のラストでは、ロレンツォのオイルによって命を救われた少年たちが元気に笑い、遊ぶ光景が次々に映し出されます。命の尊さ、それを救う営みの素晴らしさを訴えて、まさに圧巻という他ありません。筆者はたまにこのビデオを借りてきては、「素人のオドーネ夫妻にできて、プロの我々にできないことがあるか!」と自らを鼓舞しているような次第です。

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 「ロレンツォのオイル」を作り出したオーギュスト・オドーネ氏は現在、失われたミエリンを回復させるプロジェクトを興し、引き続きALDの治療に取り組んでいます。そしてロレンツォ本人は、投与開始が遅かったため重い障害を抱えたままではありますが、現在27歳で生存しており、なおも闘病生活を続けているとのことです。

 

(注1)正確には脂肪酸そのものではなく、脂肪酸3分子がグリセリンに結合したトリグリセリドです。

(注2)映画の後半には、夫妻のたっての願いを聞き入れて、誰もがさじを投げるほど困難なエルカ酸の精製に黙々と取り組む老化学者が登場します。この役を演じているのは実際に精製を行ったサダビー氏本人なのだそうで、同じ化学者として真のプロフェッショナルの姿に胸を打たれたシーンでした。

 

 The Myelin Project(オドーネ氏の主宰するプロジェクトのウェブサイト)

 映画「ロレンツォのオイル」

 

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