Molecule of the Week (11)

紫がナトリウム、ピンクがホウ素、白が水素

 

 2004年12月19日、Herbert C. Brown教授が死去されました。Brown教授はホウ素の化学を中心として数々の有名な合成反応・試薬を開発しており、複雑な化合物の合成ではBrownの試薬を使っていないものを探す方が難しい、とさえいわれます。この功績により、1979年にはG.Wittigとともにノーベル化学賞を受賞しています。

 ここに取り上げた水素化ホウ素ナトリウムは中でも代表的なもので、どこの研究室にも必ず置いてある最もポピュラーな還元剤です。これは元はといえば戦時中に、「安全に携帯できる水素源を」という軍の依頼によって開発された化合物でした。Brown教授はこれを抽出しようとアセトンを加えてみたところ、反応してイソプロピルアルコールができてしまったというところからその還元力が発見されました。以来もっぱら合成試薬として盛んに使用されていましたが、近年もともとの用途である「水素源」としても再び脚光を浴び始めています。水素を用いる燃料電池はクリーンなエネルギー源として大きな期待が寄せられており、もしかしたら未来の車やノートパソコンは、ガソリンやバッテリーの代わりに水素化ホウ素ナトリウムで動くようになるかもしれません。

 Brown教授はこの他にもハイドロボレーションなどの多くの有用な反応を発見している他、理論化学の分野でも大きな足跡を残しています。92歳で亡くなるまで生涯を現役の研究者として過ごし、1938年から最晩年に至るまで足掛け66年にわたって1300報近い論文を発表しているといいますから、これは恐らくギネスブック級の大記録でしょう。質・量ともに膨大なその研究史は、そのまま現代有機化学の大きな柱を成していると言っても過言ではありません。

 Brown教授がホウ素化学の道に入るきっかけになったのは、ガールフレンド(後のSarah夫人)がプレゼントしてくれた、たった一冊の本だったといいます。ちなみに彼女がその本を選んだ理由は、「書店にあった化学書の中で、それが一番安かったから」だったのだそうです。一冊の本と一人の化学者の偶然の出会いは数々の巨大な成果をもたらし、化学の世界を変えてしまうほどの大きな力となって結実しました。

 化学界の偉大なる大先達、H.C.Brown教授のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 パーデュー大学 H.C.Brown教授ウェブサイト

 水素化ホウ素ナトリウムを使う燃料電池 (Hotwired)

 

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