Molecule of the Week (9)

シスプラチン(cisplatin)。中央が白金、黄緑が塩素、青が窒素。

 シスプラチンは白金に2つの塩素、2つのアンモニアが結合した極めて単純な分子ですが、抗ガン剤として最も広く使われている薬剤の一つです。わずか11原子から成る、純然たる無機化合物が医薬として使われているのは極めて珍しいケースに属します。「シス」は塩素同士、アンモニア同士が同じ側についていることを表す接頭語で、これが対角線についていると抗ガン作用はまったくなくなります。

 シスプラチンの抗ガン作用は1965年に偶然に発見されました。電場の影響による大腸菌の増殖の変化を調べていたRosenbergが、白金電極のまわりでは電場なしでも増殖がストップすることを見つけたのです。この現象に興味を持ったRosenburgは白金化合物をいろいろと合成して調べ、このシスプラチンこそが最も効率よく菌の増殖を抑える化合物であることを発見したのです。

 やがてシスプラチンは大腸菌だけでなくガン細胞の増殖を抑えることも発見され、広く抗ガン剤として使われるようになります。この作用機序が解明されたのは1984年のことで、DNAの二重らせんにシスプラチンががっちりと結合して変形させ、その機能をブロックしてしまうことがわかったのです。DNAがほどけなくなれば細胞分裂もできなくなり、ガンの病巣の増殖も食い止められるという理屈です。

DNAに結合し、二重らせん構造を破壊したシスプラチン(中央、黄色と紫)

 白金化合物がガンに効くなどというのは、頭の中だけで考えた理屈では決して出てこない事柄です。これに限らず偶然の発見がブレイクスルーにつながることは科学の世界では数多く、それを逃がさず捕らえることも優秀な研究者の条件の一つといえるでしょう。

 

 今週の分子バックナンバー

 有機化学美術館トップへ