☆海産物の毒

 生物の産み出す化合物は多種多様ですが、特に海洋生物の作る化合物はユニークな骨格と、強力な生理作用を持ったものがたくさんあります。今回は、その中でも「毒」となる化合物に焦点を絞って紹介していきましょう。

 毒のある魚といえばまっ先に思いつくのがフグで、特に肝臓の毒性が強いことが知られています。致死量は成人で0.5〜2mgほどで、青酸カリの200倍にもあたる猛毒です。この毒の元になっているのはテトロドトキシンという舌を噛みそうな名前の化合物ですが、いろいろな化合物を見慣れた我々の目から見てもかなり特徴的な、ずいぶんとけったいな骨格の分子です。

tetrodotoxin

 テトロドトキシンの構造決定競争には世界の有名研究室がしのぎを削りましたが、結局1964年の国際天然物化学会議において、名古屋大の平田・三共の津田・ハーバード大のWoodwardの三者が同時に同じ構造を発表するというドラマチックな幕切れを迎えました。後に平田教授の門下である岸義人教授がテトロドトキシンの初の全合成を、さらに同じ一門出身の磯部稔教授が2003年に初の不斉合成を達成しており、名門平田研究室にとって宿縁の化合物といえそうです。

 ところで最近の研究では、フグ以外にもハゼやカエルの一種にもこのテトロドトキシンを持つものがいることがわかってきました。どうやらこの化合物を作っているのはフグ自身ではなく、そのエサになっている微生物なのかもしれないということです。毒物が体内に入ってきた時にそれを処理するのは肝臓ですから、フグが食べた毒が肝臓に蓄積されているのはあり得る話です。ちなみにフグ自身は、テトロドトキシンの標的となるタンパクの構造が他の動物に比べてほんの少し違っており、このため中毒にはならないのだということです。

 

 ハワイに生息するイワスナギンチャクの一種は、フグよりもはるかに強い毒を生産しています。この毒はパリトキシンと呼ばれ、下に示すような巨大な分子です。

palytoxin

 端から端まで目で追っていくと、炭素(灰色)の鎖がほとんど切れ目なくずらりとつながり、枝分かれも非常に少ない特徴的な構造がお分かりいただけると思います。絵を描くだけでもいやになってくるようなこの化合物、全合成は不可能ではないかと思われましたが、1989年にこれもハーバード大の岸教授によって合成されて大きな話題を呼びました。20世紀の有機化学の金字塔のひとつといってよいでしょう。とにかくすごい、という言葉しか思い浮かびません。

 

 海水が富栄養化することによってプランクトンが大発生し、海を赤く染める「赤潮」と呼ばれる現象があります。単細胞のある種の藻類が犯人ですが、海水中の酸素を一挙に消費し尽くす上、強烈な毒によって大量の魚を死に追いやります。この有毒成分は長いこと謎とされてきました。1980年代に入ってようやくそのいくつかが構造決定されましたが、これがまた今までに類例のない、とてつもなく奇妙な代物でした。

brevetoxin A(上)とbrevetoxin B(下)

 見ての通りまるでイモムシのような、酸素をひとつ含んだ環がずらずらとつながった妙な構造です。これもよく見ていただければ、炭素鎖が端から端まで切れ目なくつながった構造がわかると思います。前例のない骨格のため合成は難航しましたが、これまでにも何度か出てきた第一人者Nicolaou教授の14年にわたる執念が実を結び、berevetoxin Bは1995年に、より難しいbrevetoxin Aは1997年に完成を見ました。

 現在Nicolaou教授は究極の標的、マイトトキシンの全合成に挑んでいます。現在までに知られた天然化合物のうち最大、かつ最強の毒物(非タンパク化合物で)であり、32もの環を持つ怪物です。

maitotoxin

 巨大な天然物は次々に発見されており、やがてこのマイトトキシンを上回る化合物も見つかることでしょう。自然の懐は恐ろしく深いですが、それに挑もうとする人間の探究心もまた限りがないようです。


(追記)

 2001年秋、東北大の平間正博教授のグループが「シガトキシン」の全合成を達成しました。シガトキシンはブレベトキシンなどと同じ仲間に分類される化合物ですが、構築の難しい7〜9員環を多く含んでおり、その合成の難度は想像を絶するものがあります。

この論文は、「Nature」と並ぶ世界の学術誌の最高峰「Science」に掲載されました。全合成の論文が「Science」に載るのは極めて異例なことで、文字どおり日本が世界に誇る成果といえそうです。

ciguatoxin3C

 この合成にはGrubbs教授の開発した触媒を用いた、「オレフィンメタセシス」という反応が大きな力を発揮しました。特に環を形成する時にこの反応は極めて有効であり、有機合成の世界を革命的に変えつつある素晴らしい反応です。

Grubbs触媒

 

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