☆麻薬の話

 数千万ある有機化合物の中にはありがたくないものもあるし、中には人間を破滅に追いやるものさえあります。今回はその代表的なものとも言える麻薬・幻覚剤を取り上げてみましょう。

 人間の脳の中では様々な化合物が生産され、互いに複雑に影響を及ぼしあいながら「脳」という超複雑なシステムを動かしています。ドーパミンやアドレナリン、セロトニンといった物質もその中の一つで、これらが所定の「レセプター」と呼ばれる、いわば「鍵穴」にはまり込むことによって情報が伝えられ、神経が興奮したり血圧が上昇したりします。

 dopamine(左)とadrenaline(右)


serotonin

 これらと全く関わりがないのに、たまたま構造の似た分子が世の中にはいろいろとあります。サボテン由来のメスカリン(下左)などがそうです。麦角菌という細菌が作る化合物に化学修飾をしたリゼルギン酸ジエチルアミド(下右)という化合物はかなり複雑な骨格ですが、緑色で示したようにセロトニンに似た構造を含んでいます。実はこれが有名な幻覚剤LSDです(LSDについてはこちらもご覧下さい)。

mescaline(左)とLSD(右)

 これらを人間が摂取すると、本来ドーパミンやアドレナリンが入るべき鍵穴(レセプター)にこれらの分子が入り込み、情報伝達系を混乱させます。このためにLSDを飲んだ人間は本来ないはずの色が見えたり、ものの輪郭がねじ曲がって見えたりといった強烈な幻覚を見ることになります。(詳しい幻覚のメカニズムはまだわかっていません。また、脳内のレセプターにもいろいろな種類があって、話はそうそう単純なものではありませんが、ここでは煩雑さを避けて構造の類似性を指摘するに留めます。以下の化合物も同様)

 いわゆる麻薬、覚醒剤といった化合物も、こうした脳内のレセプターに結合する化合物群です。下に覚醒剤メタンフェタミン(俗に「シャブ」「スピード」と呼ばれる)と、モルヒネ(ケシの実から得られる)の構造を示します。やはりドーパミンなどと似た構造を持つことがおわかりいただけると思います。ヘロインはモルヒネの水酸基がアセチル化されたものです。

methanphetamine(左)とmorphine(右)

 モルヒネはオピオイドレセプターと呼ばれる部分に結合します。これらは本来「脳内麻薬」と呼ばれる、エンケファリンやβ-エンドルフィンといった分子が結合する場所です。脳内麻薬は芸術に対する感動、スポーツの後の爽快感など、人間が味わう全ての快感の元になる「快楽物質」です。人間はこの物質の分泌を求めて全ての行動を起こすといっても過言ではありません。モルヒネは脳内のレセプターをだまし、かりそめの、しかし強烈な快感を与える化合物なのです。

 体外から麻薬が入ってくるとレセプターが埋まり、一時的に強い快感を感じます。すると脳は「今は脳内麻薬の量は十分以上だな」と判断し、分泌を止めてしまいます。やがて麻薬が切れてもすぐには脳内麻薬の分泌は回復せず、強い不快感を味わうことになります。そこで再び麻薬を注射し、また切れて……というサイクルを繰り返すうち、脳内麻薬の生産力はどんどん落ちていきます。これが麻薬の習慣性、禁断症状の原因です。そして麻薬が人間の行動原理の最も深いところに作用するものである以上、一度この悪循環にはまってしまえば自力で抜け出すのはほぼ不可能、待っているのは破滅のみです。

 麻薬はギリシャの昔から人類の歴史の負の部分に関わってきました。しかし一方では強い鎮痛作用を持ち、現在でも末期ガンの激しい痛みを抑えるのに使われています。こうした作用と習慣性を切り離す研究は今も続けられており、将来依存性のない優れた鎮痛薬がここから産み出されるかも知れません。例えそうなったとしても、麻薬を悪用する人間はおそらく後を断たないことでしょうが。

「シャブとはつまり、人間のいやしさを映す鏡のような構造式を持っているのではないか」(中島らも「アマニタ・パンセリナ」より)

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