☆昆虫〜小さな化学者たち〜(2)
先日、群馬の月夜野町というところまでホタル祭りを見に行ってきました。筆者自身、ホタルを見るのは小学生の時以来でしたが、闇の中に幽かな青白い光を放ちながらゆらゆらと漂うありさまは、いつまで見ていても飽きないほどの幻想的な美しさでした。開発が進んだ現在となってはホタルの生息できる環境も少なくなり、楽しい夏の風物詩に出会う機会が少なくなっているのはなんとも残念なことです。
ところでホタルが何のために光っているかというと、これも実はフェロモンなどと同じ求愛のシグナルなのです。ホタルはその光によって自分の存在を知らせ、異性を呼び寄せているのです。光の周期は種類ごとに異なり、混乱が起きないようになっています。
ホタルの光は熱を発生せず、水や風にもかき消されない理想的な光です。これはルシフェリンという物質の働きによっています。ホタルの体内で作られたルシフェリンは、ルシフェラーゼという酵素によって不安定な中間体に変換され、これは二酸化炭素とオキシルシフェリンに分解します。この時に、余分なエネルギーを光として放出するという仕組みです。
はかなくて美しい光を放つホタルですが、中にはとんでもなく悪賢い奴もいます。アメリカに住むベルシカラーボタルのメスは、他の種類のメスの光り方をまねて光ることができ、交尾しようと寄ってきたオスを捕らえて食べてしまうのだそうです。飛んでいるオスの種類を見分けて、それに合わせた光り方を使い分けるというような器用なまねもするそうで、どこの世界にも悪い女はいるもんだなあと変な感心をしてしまいます。
もう一つ余談。中国の車胤は貧乏で明かりが買えなかったので、ホタルを集めてその光で勉強した、という有名な故事があります。これが本当に可能かどうか試した人がいて、それによればゲンジボタル約2000匹を集めて、やっと新聞が読める程度なのだそうです。これではホタル狩りだけで疲れ果ててしまって勉強にはならなさそうですが、中国にはもっと光の強いタイワンマドボタルという種類がいて、これなら20匹程度でなんとか字が読めるそうです。となればあながち蛍雪の功というのもウソではないのかもしれません。
日本にいる毒虫で案外知られていないのがアオバアリガタハネカクシという昆虫で、皮膚につくと治りにくい炎症を起こし、運悪く目に入ると失明することもあります。毒の主体になっているのはペデリンという物質で、下に示すような構造を持ちます。ちょっと変わった構造で、こんなものを昆虫はどうやって合成してるんだろうかと不思議になってしまいますが、これも中田らによって巧妙な化学合成が達成されています。
ところで最近、資生堂の研究チームが「おじさんのにおい」を解明したと発表して話題になりました。これによれば中年男性の独特の体臭の正体は、トランス-2-ノネナール(上右)という化合物なのだそうです。これはカメムシのヘキセナールより炭素が3つ多いだけの、いわば親戚筋に当たる物質です。男性は40歳を過ぎると、代謝の変化によりそれまで作っていなかった脂肪酸を作るようになり、これを皮膚表面の細菌が分解して、「おじさん臭」であるノネナールが発生するのだということです。筆者もあと10年もすればカメムシと同じようなにおいを出すようになるのかと思うと、なかなか今後年を食うのも気が進まないものがあります。まあこうして体臭を気にさせるのが、化粧品会社の戦略なのでしょうが。
ちなみに昆虫のにおい成分の研究には、箱の中にたくさんの虫を閉じ込めて、発生してきたガスを集めてドライアイスなどで冷やし、液体にして集める方法がとられます。してみると先ほどの「おじさんのにおい」は一体どういう実験を行って分離したのか−−。まああまり想像したくない図が浮かんできてしまいますが(^^;、日頃悪臭物質を扱う機会が少なくない筆者としては、資生堂の研究チームにとってはこれは大変な仕事であったろうとつい同情を禁じ得ないところです。
ヘッピリムシはハイドロキノンと過酸化水素とを別々に体内の袋に貯蔵しており、敵がやってくるとこの2つの物質を反応室に送り込みます。両者は酵素の作用で爆発的に反応して毒ガスのベンゾキノンと水になり、これが敵へ向けて放出されます。しかもこの噴出は200分の1秒の周期でパルス状に起こり、これはドイツ軍の開発したV-1ロケットと同じ原理なのだそうです。こうなってくるとヘッピリなどという生易しいものではなく、立派な化学兵器と呼びたい気がします。