☆ヒスタミン拮抗剤〜鼻の薬と胃の薬〜

 最近はようやく春めいてきて過ごしやすくなってきましたが、花粉症のせいでどうもこの季節は憂鬱だという方も多いことでしょう。今や10人に1人が患者だといわれ(もっと多いような気もしますけど)、花粉症は日本の国民病といっても過言ではないでしょう。そこで今回は花粉症の薬の話をしてみましょう。やや話が専門的になりますので、細かいことに興味のない方は下の方の仕切り線から下だけ読んでいただいても構いません。

 花粉症とは実のところ、免疫系が引き起こす病気だといえます。免疫系というのは本来体内に侵入してくる外敵から身を守るための防衛機構ですが、非常に複雑でデリケートなシステムであるため、時にその働きが狂う時があります。花粉症というのも、本来大した外敵でもないはずの杉花粉に対し、過剰に免疫系が反応して大騒ぎを演じている状態なのです。ではこの症状を抑える薬とはどのようなものなのでしょうか。

 外敵が体内に侵入してくると、免疫系は「敵が来た」という合図を周囲に送ります。この合図というのがヒスタミンという分子で、下に示すような比較的小さな化合物です。

histamine

 ヒスタミンは細胞の表面にあるレセプター(受容体)と呼ばれる、鍵穴のような部分にくっつきます。細胞はこれを刺激として様々な反応をし、外敵を追い出そうとします。これが炎症といわれる状態で、花粉症の場合くしゃみや目のかゆみという症状になって表れます。

 ということでこのヒスタミンを働かなくさせてしまえば、炎症は抑えられることになります。具体的にはヒスタミンのレセプターをヒスタミン以外の分子で埋めてしまえばよいわけです(このへんは薬のCMでやっていたのでご存じの方も多いでしょう)。ヒスタミンの鍵穴に入る分子ですから、当然ヒスタミンに似た分子ということになります。というわけでヒスタミンの構造を元にいろいろな原子団をつけたり外したりしたものを合成してみた結果、下に示すような分子がレセプターとよくくっつき、炎症を抑えることがわかりました。こういった化合物を「ヒスタミン拮抗剤」と称します。上のヒスタミンの構造と見比べてみて下さい。

ヒスタミン拮抗剤。左は抗炎症作用、右は胃酸抑制作用を持つ。

 

 ところで、ヒスタミンには胃酸の分泌を促す働きもあります。胃酸は消化作用に不可欠ですが、出過ぎると胸焼けや胃潰瘍を引き起こします。そこでヒスタミン拮抗剤を与えてやれば、胃酸の分泌が抑えられて症状が改善されることになります。2〜3年前にこの抗ヒスタミン剤を市販薬に配合することが許可され、強力な胃薬が各社から一斉に発売されてヒット商品になったことはご存じの方も多いでしょう。

 では、花粉症の薬は胃潰瘍に、胃薬は花粉症に効くのでしょうか?実はそうはなりません。炎症に関わるレセプターと、胃酸を出すレセプターは構造が違うのです。人間の体内にあるヒスタミンはどちらのレセプターにもくっついて作用を示しますが、それより大きな分子である拮抗剤はどちらか一方にしかはまらないのです。というより、花粉症を治すつもりで胃酸が出なくなるのは困りますから、一方にだけ作用する分子を設計して薬にしている、と言う方が真実です。上の2つの分子を見比べてみれば、ずいぶんと構造に差があることがおわかりでしょう。この違いが、2種類のレセプターに対する「選択性」を産み出しています。


 こうしたことを解きあかすのは基本的に試行錯誤しかありません。我々製薬会社の研究者の仕事はまさにこの「構造活性相関」を明らかにする仕事です。日夜様々な化合物を合成しては試験をし、どんな構造が最適なのか、少しずつ少しずつ追い詰めてゆく作業です。もちろん強力な効能があるだけではなく、毒性や発癌性がないこと、体に蓄積されないことなども要求されます。一つの薬の誕生までには、その陰に数万の化合物、10〜15年の歳月が必要とされます。市販されているどのような薬も、そんな膨大な作業の末に、あらゆる条件をクリアする化合物として生まれてきたスーパーエリートたちということがいえます。

 化学者の立場からすればこうした作業は地道で実り少なく、苦しい仕事ではあります。しかし自分の立てた仮説が図に当たり、強力な化合物ができたときの喜びもまたこたえられないものがあります。洞察力、解析力、観察力など科学者としての総合力が要求されます。

 こうした創薬の世界は近年、コンピュータを用いた分子デザインや、コンビナトリアルケミストリー(多数の化合物を一挙に作り出す技術)などの技術の出現により大きく様変わりしつつあります。こうした話は、いつか項をあらためて取り上げることにしましょう。

 

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