☆結晶にまつわるエトセトラ

 しばらく堅苦しい話が続きました。今回は、ちょっと息抜きということで、結晶に関わるいろいろな話をエッセイ風に書き並べてみたいと思います。

 まず結晶とは何か。専門的には、イオンや分子などが規則正しく並んだ固体のことを指します。我々の身近でいえば食塩(塩化ナトリウム)や砂糖の粒、石などがそれにあてはまります。逆に結晶でない固体というのもあって、例えばガラスなどがそうです。典型的な結晶である食塩の粒をよく見ると、ひと粒ひと粒が全てサイコロのような形(立方体)をしています。これはナトリウムイオンと塩化物イオンとが、まるでジャングルジムのように規則正しく並んでいるせいです。食塩のひと粒には、だいたい1,000,000,000,000,000,000個のイオンがびっしりと並んでいる計算になります。

塩化ナトリウムの結晶。赤が塩化物イオン、緑はナトリウムイオン。

 有機化合物というのはたいてい複雑な形をしているので、食塩のような単純な詰まり方にはならず、結晶も板状だったり針状だったりします。とはいえ同じ化合物がずらりと一定の規則に従って並んでいることには変わりありません。

 我々化学者が扱う化合物は種類も性質も様々ですが、とりあえず結晶になってくれればいろいろなメリットがあります。まず「再結晶」による精製(不純物を除いて純度を上げること)ができるようになります。また、「X線結晶解析」という方法を使えば、その化合物の分子構造を割り出すことができます。最近ではいろいろな測定機器の発達によって、他の方法でも分子構造はずいぶん詳しく解明できるようになりましたが、今でもX線解析が一番信頼のおける方法であることに変わりはありません。

 また、「薬」になる化合物は、たいていの場合結晶でないと開発が進められません。結晶していない化合物は溶け方や吸収のされ方にばらつきが生じ、結果として薬の効き方が変わってきてしまうからです。結晶になれば安定ですから、長期間の保存に耐えるというメリットもあります。とはいえこの結晶化というのが実はなかなか厄介で、我々製薬会社の研究者はたいてい一度や二度は泣かされています。

 ある会社ではAという化合物が有力な薬剤候補化合物として発見され、順調に開発が進められていました。ところがある日、何の前ぶれもなくこの化合物の性質が一変してしまいました。それまで水にさらっと溶けていた化合物が、突然全く溶けなくなってしまったのです。調べてみた結果、Aの「結晶形」、つまり結晶内での化合物の詰まり方が変わってしまっていたことがわかりました(不規則な形をした化合物の場合、複数の結晶形を持つことはよくあります)。溶媒や温度を変えたりいろいろと努力したのですが、二度と元の結晶形には戻りません。いくらよく効く薬であろうが、水に溶けなければそのまま胃腸を通過するだけ、石や砂を飲んでいるのと同じです。結局この会社はAの開発を泣く泣く断念したということですが、現場の苦労を知るものとしては、なんとも聞くだけで涙が出てくるような話ではあります。


 「種結晶」という言葉があります。例えばチオ硫酸ナトリウムという物質を沸騰したお湯に溶けるだけ溶かし、ゆっくりと冷やしていきます。本来なら温度が下がれば溶けきれなくなった分が結晶として出てくるはずですが、実際にはそうはなりません。チオ硫酸ナトリウムは水に溶けてバラバラになり、もとの結晶構造を「忘れて」いるからです。どうすれば結晶が出るかと言えば、結晶構造を「思い出させて」やればよいのです。具体的には先ほどの冷えた溶液に、ひとかけらのチオ硫酸ナトリウムを放り込んでやります。過剰に溶けていたチオ硫酸ナトリウムは種結晶をきっかけにして一挙に成長し、一瞬にしてビン全体から結晶が析出します。

 新しく合成された化合物、自然界から純粋に取り出された化合物は、まだこの「結晶化の仕方を知らない」状態です。最初、たいていはねばねばの液体である新規物質から、ひとかけらでも結晶が出ればあとはこれを種としていくらでも結晶が増産できますが、時にこの最初の結晶を得るのが非常に難しいことがあります。

 結晶化の条件は化合物の構造・微妙な条件の差に左右されるもので、「こうすれば必ず結晶が出る」という方法はありません。場合によっては何週間、何ヶ月も溶媒を変えたり温度を変えたりしながら、キコキコとフラスコの壁を棒でこする(こうすると結晶が出やすい)はめになります。そうやって努力して努力して結晶がどうしても出ず、いやになって投げ出したころになってふと実験台の隅を見ると、転がしておいた小ビンのふちにキラキラと光る結晶が析出していたりします。結晶を得るには条件の選び方など職人的なカンの部分もありますが、結局は運任せというところも大きいのです。

 龍角散の社長である藤井康男氏が書いていた話です。氏の学生時代、先輩の大学院生S氏は、植物から得られるある種のアルカロイドの研究をテーマにしていました。この化合物が結晶さえすれば、構造が決定できて博士論文も書けるのですが、何年頑張ってもネバネバの液体のままでした。ある日、S氏は藤井氏に向かって「俺の人生はこいつのせいでだめになりそうだ」と嘆いてこのフラスコを指差したところ、袖に引っかかって床に落ち、フラスコは化合物ごと砕け散りました。「ああっ!」と叫んで拾い集めようとした瞬間、奇跡が起こりました。レンガの床に触れたところから結晶が析出し、一瞬にして全体がシャッと白く固まったのです。S氏は結晶のきれいなところだけを回収し、これによって構造を決定して無事博士号を取得したそうです。結晶はフラスコの壁の傷などをきっかけに析出する時がありますが、この場合は床のレンガがその役割を果たしたのでしょう。まあ奇跡というしかない話です。

 結晶というやつには、どうにも科学で説明できない「何か」があるような気がする時があります。筆者も一度どうしても結晶が出ない時、先輩に貸してもらった通称「マジック・フラスコ」で一発で結晶が出た経験があります。何の変哲もないただのフラスコでしたが、これを使うとなぜか結晶が出るというので、研究室で代々大事に伝えられてきたものなのだそうです。苦しい時の神頼みめいていますが、聞いてみると他の研究室でもこういう「言い伝え」はあるようで、あながちバカにできた話でもないように思えます。長年現場で化合物を取り扱ってきた方の中には、あるいは「ああ、俺もあるある」とうなずいて下さる人もおられるかと思います。


 もう一つ不思議なことに、それまでどうあがいても結晶しなかったものが、一度固まるとそれ以後は(種結晶を入れなくても)簡単に結晶が出る、という時があります。筆者は個人的に「結晶グセ」と呼んでいますが、これも賛成してくれた同業者がいますので、あながち筆者だけの思い込みでもなさそうです。

 こういう「結晶グセ」の究極のケースがグリセリンの場合です。グリセリンは潤滑剤、食品添加物、さらに様々な工業原料にもなる非常に重要な化合物ですが、発見から数十年間誰が何をやっても結晶せず、「グリセリンには固体状態というものはない」と思われていました。

glycerin

 ところがある時、イギリスの貨物船に積まれていた樽詰めのグリセリンが、一本まるごと結晶しているのが発見されたのです。この知らせを聞いてあちこちの研究所から「グリセリンの種結晶を分けてくれ」という申し込みが殺到したのですが、不思議なことはここから起こりました。この日を境に、世界中の工場や研究所で、種結晶を入れてもいないのに一斉にグリセリンが結晶し始めたのです。製法も保存方法も変わったわけではなかったので、これにはあらゆる分野の化学者たちが首をひねりました。服や皮膚に微量の種結晶がくっついて入り込んだのではないか、という説まで出ましたが、種結晶が入らないようどれだけ気を使っても結果は同じでした。今ではグリセリンは17度に冷やすだけで、どこで誰がやっても簡単に結晶化します。いまだにこの件については納得の行く説明は誰にもできていません。

(追記)

この件については最近阪大の菊池氏が調査を行い、1923年のアメリカ化学会誌に「グリセリンの結晶化に成功したと聞いて種結晶を送ってもらったが、これが届く前に温度調節をうまくやることによって種を入れずとも結晶化ができることがわかった」という論文が掲載されていることがわかりました。結局上記の話は、この記述に尾ひれがついたものである可能性が高そうです。詳しくはこちらを参照下さい。


 結晶には世界中の化学者が手を焼かされており、それゆえに結晶にまつわる話題は尽きません。現代の科学界で最もホットなジャンルといえばやはり生命科学、それもタンパク質の機能解明ということになります。こうしたタンパク質の生産や精製は、遺伝子工学など様々な技術の進展によりずいぶん簡単にできるようになりました。しかし解析のためにはタンパクを結晶化させることが必要であり、これはふつうの分子を結晶化させるより数段苦労が伴います。結局のところこの結晶化についてはとにかくじゅうたん爆撃的にいろいろな条件を試すより方法がなく、一番大きなネックになっているのが現状です。最先端といえる分野で、いまだに職人芸や運が成否を左右する部分があるわけで、科学というものはどこまでいっても人間のやるものなのだということを改めて思わされます。

 

 次の化合物

 有機化学のページに戻る