☆医薬の王様・アスピリンの物語(2)

 アスピリンが100年にわたって人々の炎症や痛みを鎮めてきたこと、それは体内でCOXという酵素の働きを止め、プロスタグランジン(PG)が作られるのを防ぐためであることを前回述べました。しかしアスピリンの作用はこれだけではなく、実のところその謎解きもいまだ終わったわけではありません。

aspirin(アセチルサリチル酸)

 前項で書いたとおり、プロスタグランジンは極めて多彩な生理作用を持ちます。ということはその合成ルートの根本を止めてしまうアスピリンには、単なる痛み止めにとどまらないいろいろな薬理作用があることが期待されます。

 そのひとつが凝血(血が固まること)を抑える作用です。ケガをした時血が固まって傷口をふさぐのはもちろん重要な作用ですが、何かのきっかけで体内で血が固まって血管に詰まると、脳血栓や心筋梗塞など非常に危険な症状の原因になります。

血を固める過程で鍵を握っているのがトロンボキサンという化合物で、体内でプロスタグランジンH2(PGH2)が変化して作られます。要するにアスピリンを飲めばトロンボキサンもできにくくなり、結果として血が固まりにくくなるという理屈です。体質的に血が固まりやすい人、心筋梗塞の前兆となる症状が現れている人などがアスピリンを飲めば、これら重大な成人病の予防になると考えられています。

thromboxan A2

 この他にもアスピリンは、大腸ガンやアルツハイマー病、骨粗鬆症などにも有効なのではないかというデータもあります。このことから「少量のアスピリンを毎日飲み続けることで種々の成人病が防げる」と主張する人もいます。実際、リウマチなどの病気で長期に渡ってアスピリンを服用し続けた人は、これらの病気の罹患率が低いというデータが蓄積されつつあります。アメリカなどではこれらの研究結果がよく知られ、毎日アスピリンを服用している人も多くいます。中には「水道水に最初からアスピリンを入れておけ」という、かなり無茶なことを言う人さえいるということです。

 ただしアスピリンには後述のように副作用もありますから、服用量には気をつける必要があります。日本で売られている一般的な錠剤は330mgほどのアスピリンを含んでおり、毎日飲み続けるにはかなり多い量です。だいたいこれを4分の1にし、80mg程度を摂取するのがよいとされているようです。その他、こうしたアスピリンの新しい効能については、「超薬アスピリン(平凡社新書)」「遺伝子が処方する脳と身体のビタミン」などの本を参照下さい。


 アスピリンの構造をいろいろと変化させて、もっと優れた薬を作ろうという試みは古くからなされています。こうして生まれた薬は一般にNSAID(非ステロイド系消炎鎮痛剤)と総称され、アスピリンと同じくCOXの働きを止めることでその効果を発揮します。イブプロフェン・インドメタシンなどはよく市販薬にも配合されていますので、CMなどでその名をご存じの方も多いと思います。

イブプロフェン(左)、インドメタシン(右)

アスピリンを含めたこれらの薬の副作用として最も問題になるのは、前項でも書いた通り胃腸障害です。現在ではこれは、胃壁保護作用のあるプロスタグランジンの生産が止まるためであると考えられています。COXというPG合成の根幹を止めてしまう以上、善玉PGも悪玉PGもできなくなるのは避けられません。アスピリンに限らず、薬の作用には多かれ少なかれこのような「諸刃の剣」的要素がつきまといます。

 アスピリンなどの消炎鎮痛剤による胃腸障害により、アメリカでは年間5〜10万人が入院し、2000人以上が死亡するというデータもあります。これはなんとあらゆる薬の副作用被害の4分の1以上に相当します(アスピリンの消費量が他に比べて圧倒的に多く、医師の指示なしに飲めるからでもありますが)。この副作用があるため、もし今アスピリンが新薬として申請されたなら、認可されることはないのではないかとさえいわれています。

 どうにかしてこの副作用を取り除くことができれば、それは夢の抗炎症剤となるはずです。様々な研究が行われた結果、COXには2種類があることがわかってきました。どちらもPGを合成するという機能は同じなのですが、COX1は常に消化管・腎臓などにあってその機能を保つ働きをしており、COX2の方は臨時に作り出され、炎症の過程に関与しています。アスピリンやイブプロフェンはCOX1・2を両方とも止めてしまうため副作用が生じますが、COX1にはさわらずにCOX2だけを止める薬を作り出せれば、それは副作用の少ない「スーパーアスピリン」になるはずです。

 この「COX2選択的阻害剤」の研究は90年代の製薬業界の一大トピックとなり、各社が莫大な資金を投じて激しい競争が行われました。このいくつかはすでに発売されており、「セレコキシブ」「ロフェコキシブ」などは最盛期に年間4000億円ほどを売り上げる超大型商品となりました(注1)。

celecoxib(左)、rofecoxib(右)。6-5-6とつながった構造が特徴(水色はフッ素)。

 COXをめぐるややこしい事態の一つとして、アセトアミノフェンの存在があります。アセトアミノフェンはイブプロフェンやインドメタシンなどと同じように比較的古くから知られている抗炎症剤で、市販の頭痛薬などにもよく配合されている有名な薬です。ところがこのアセトアミノフェンはアスピリンと同程度の抗炎症作用を持つくせに、COX1も2も非常に弱くしか阻害しないのです。

acetaminophen

この謎はつい最近(2002年)になって、ブリガムヤング大学のSimmonsらによってやっと解かれました。COXは1・2だけではなくもう1種類あり、アセトアミノフェンはこのCOX3だけを阻害する薬だったのです。今後またこの第3のCOXをめぐって、世界の製薬企業の間で激しい研究競争が発生するものと思われます(注2)。

また1998年には、アスピリンはCOXだけではなく、IKK(IκBキナーゼ)という酵素の作用も止めることがわかっています。このIKKもまた炎症発生に関わる酵素ですので、アスピリンは2方向から炎症を鎮める薬剤であったということになります。要するにアスピリンの効果は「ここを抑えたからこう効く」などという単純な事柄ではなく、いろいろな作用の総和であり、その全容が解明できたとはまだいえそうにないのです。  100年の歴史を持ち、きわめて簡単な構造のアスピリンに、まだこれだけ新しい発見が相次ぐというのは実に驚くべきことで、生命の奥深さを改めて思い知らされます。ある意味で、我々はこの100年でアスピリンをしのぐ薬をただのひとつも作り出せていないのかも知れません。

現代の製薬産業は、コンピュータによる分子設計、大量の化合物を一挙に合成・評価する技術、遺伝子工学によるタンパク質の生産等々ありとあらゆる技術を投入していますが、「医薬を自由に創り出す」という夢にはまだまだあまりに遠い段階です。「小さな分子で人体という超複雑なシステムを操る」ということは、人類にとって最も難しい事業のひとつといえます。果てしなく遠いゴールを目指し、あらゆる分野の英知を結集した創薬への挑戦は今日も続いています。


 (注1)最近になってこれらCOX2選択的阻害剤は、心臓病のリスクを上昇させるという指摘がなされました。さらに最新の研究では、COX2阻害剤全般というより、ロフェコキシブ特有の作用ではないかという見方が強まっていますが、このあたりの副作用メカニズムの解析というのは容易なことではありません。「このタンパクをこう阻害したらこの病気に効く」「この酵素への作用をなくせば副作用も軽減できる」という1対1対応が毎回単純に成立するほど、人間の体はシンプルにできていないという例証のひとつです。こうした問題の解決も、今後の薬学に求められる大きな課題でしょう。

 (注2)その後、このデータにはおかしな点が多いということで見直しが行われ、どうやらCOX-3というタンパクは存在しないという結論になったようです(208.11.15追記)。

 

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