国道152号線を行く〜その3〜

 というわけでR152第3弾。今回で終わる予定だったのだが、あまりに長くなってしまったので今回は青崩峠周辺だけで終わり。

 上村を過ぎ、ついに長野県最後の南信濃村に進入する。ここもまあ思わず感心してしまうくらいの田舎だ。だがわずかに市街地らしきものも存在し、久々に国道もここから分岐していく。このR418も廃道寸前の断絶区間を抱えた強烈なボロ国道なのであるが、南信濃村近辺に関してはR152よりこっちの方がはるかに立派だ。おいおい、R418にすら負けてんのかよ。


南信濃村を抜けるR152。頼りなさ大爆発。

 小さな商店街を抜ける前に、この後に控える青崩越えに備えて給油をしておくが、レギュラーで¥114/・の値段に思わずのけぞる。まあここらだとガソリンを運んでくるのも一大事であろうからして、高値もやむを得ないところであろう。スタンドのおじさんの心を込めた窓の拭き方と、人なつこい満面の笑顔が実に印象的であった。

 というわけでいよいよ最後の峠、青崩に向かう。ここも断絶区間となっていて道はつながっておらず、間を兵越(ひょうごえ、ヒョー越とも書く)林道という道が結んでいる。林道といいつつ、これもR152部分よりずっとましな道であったりするのはご愛敬というものである。

 R152と兵越林道が分岐したちょっと先、通行不能区間に入るところに民宿の看板が立っていて驚く。こんなとてつもなく何もないところに泊まりに来る人というのはどんな人なんだろうと考え、とてつもなく何もかもを忘れ去りたいような人なのかな、と適当な結論を出しておく。いつか筆者もこういうところを訪れたくなる日が来るのかもしれないが、今のところその予定はない。


奥の青い看板は「この先6km通行不能」。なんつーか、この3枚の看板の取り合わせは実に文学的であると思う。

 というわけで、林道のくねくね道をえっちらおっちらと駆け上がる。要するに青崩峠に道が作れなかったため、一つ隣の尾根、兵越峠へ迂回していくのがこの道なわけである。青崩の断絶区間は地図で見るとそんなに長くはなく、ちょっとトンネルを掘ればすぐつなげそうに見えるのだが、実際にはそんなに甘くはないらしい。パート2で書いた通りR152は不安定な大断層に沿っているため、地面を掘るたびにすぐ岩盤が崩れてきて工事にならなかったのだという。青崩峠という名も青っぽい石が常にぱらぱらと崩れてくることに由来しているそうで、言われてみれば確かに非常に落石が多い。青函トンネルを掘り抜いた日本の技術も、自然の脅威には勝てなかったわけである。

 といっているうちに兵越峠の頂上に到着。長野県南信濃村と静岡県水窪町の境界に当たるわけであるが、ここで面白い看板を見つけた。


右の看板には「これは綱引きで決めた境界線で、行政上の境界ではない」みたいなことが書いてある。

 要するに県境をはさむ両町村で年1度綱引き大会をして、勝った方に境界が動いていくというイベントが行われているらしい。こうして過疎の両自治体が、県を越えた交流を図っているんであろう。今のところ「国境」は法律上の県境よりずいぶん静岡側に動いていた。がんばれ、南信濃村。

 と、ここにまさしく突如として高速道路並みの立派なトンネルが出現する。今までが今までだっただけにあまりの落差にしばし呆然とする。


草木トンネル。おおっ、なぜこんなところに!という雰囲気。

 実はこれ高速道路並みなのも道理で、三遠南信道という高速道路(正確には地域高規格道路・国道474号)の一部なのである。三遠南信道というのは静岡の西端である三ヶ日町から長野県飯田市までを結ぶ予定の道路なのだけれど、とりあえずこの草木トンネルと、もうちょい北の矢筈トンネルという2ケ所だけが開通している。まあ建設予定の道路のうち青崩峠と兵越峠を結ぶ部分だけを、他の箇所に先がけて開通させたということだ(現在は暫定的に無料で通行できる)。

 しかしこの三遠南信道、その後の工事が進んでいる様子はほとんど見えない。まあ第二東名ですら建設すべきかどうか激しい議論があるこのご時世で、こんな交通量の見込めない山奥の道路の完成はかなり絶望的だろう。草木トンネルから南にも橋桁の列だけは続いているのだけれど、ここに道路が架けられて車が行き交うようになる日はおそらく来ないと思われる。筆者もこんなところに贅沢な高速を作る必要はさらさらないと思うが、中途で放り出された道路は今の日本を象徴しているようで、何かため息をつきたくなるような光景ではあった。

 

橋桁の列はとりあえず支えるべきものもないままに伸び、山にぶつかって消える。

 さて、こうして隣の峠に迂回する形で青崩は越えられたわけであるが、本家青崩峠はどういう状況になっているのか。上の写真のちょっと下に「→青崩峠」と書かれた細い道が分岐しており、一応しばらくは車で進入できるようになっている。細い急坂を登ることしばし、「塩の道」という大きな石碑が立てられているちょっとした広場に出るのでここで車を止める。ここはハイキングコースとしてわりとメジャーなところであるらしく、家族連れらしき車が意外にたくさん止まっていた。


うっそうとした林の奥に石段が続いている。

 「塩の道」というのは、現代で言えば太平洋側からはほぼR152、日本海側からはR147+R148(糸魚川街道)に相当する、古くからの街道である。「敵に塩を送る」の故事通り、昔から塩のとれない信州地方には、こうして海辺でとれた塩をえっちらおっちらと運び込むしかなかったわけだ。「塩尻」という地名は、この南北からの「塩の道」の終点にあたっていたことから名づけられたんだそうである。

 ここから青崩峠の頂上までかつての街道の石段が残っているというので、せっかくなので訪ねてみることにする。ここもR152(予定地)であることを思えば、まあ究極の国道探検である。

 「熊出没注意」の看板にびびりつつ(どうやって注意するんだ)石段を登る。途中林の奥からゴロゴロゴロッという大きな音が響いてきて思わず逃げ腰になるが、どうやらイノシシか何かであったらしい。冗談抜きに凄いところである。


奥へ向けて古びた石段が続く。

 石段は使い古されてすり減っており、この峠の歴史の古さを偲ばせる。途中に「信玄公腰かけ石」なんてのもある。武田信玄が京へ攻め上るべく越えた峠がここであり、この石はその途中信玄が休憩して腰掛けた石なんだそうである。兵隊を連れて越えたから「兵越峠」なのだというが……あれ、ここは青崩峠だろ?まあ伝説というのはそんなもんなんであろう。

 信玄はここを越えて浜松付近に下り、迎撃してきた信長・家康連合軍を三方ヶ原の合戦でボコボコにするのだが(家康などは恐怖のあまり、本当にウンコを漏らしながら敗走したらしい)、直後に病に倒れて上洛を果たせずに終わる、というのが歴史の筋書きであったはずである。まあ実際に旅してみると、これは信玄がいかに強かろうとあまりに地の利がなかったのだな、と実感してしまう。便利な道路もなかった時代に、どこかへ攻め込むたびにいちいち山越えをしてたのでは疲れて戦争にもなりはしない。東海道沿線がいつの時代も国の中心地になるのは、日本という国の宿命みたいなものなんであろう。

 さて石段を登ること15分、さすがに息が切れて体力の低下を実感するころ、ようやく標高1082mの青崩峠へとたどり着く。頂上には比較的新しい石碑や銅板の説明書き、登山者ノートなんかも置いてある。ノートを見ると家族連れから大学のサークル、ライダーのみなさんなどけっこう訪問者は多いらしい。


青崩峠。静岡県が県指定の史跡としてきちんと管理しているようだ。

 下界を見下ろすと、山々がどこまでも重なっているだけで、人工物はほとんど見えない。吹き抜ける風の他、静寂を破るものはない。この景色を、今まで幾人の旅人が、どんな思いで見下ろしてきたんだろうなあと思う。筆者は霊魂とかいうのはあまり信じていないのだけれど、数々の人がいろいろな思いを残した場所として、峠というところには特別な何かがあるような気がするのであった。

 ということで次回こそ最終回、水窪から浜松へと駆け下ることになる。

 

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