☆シクロファンの世界(3)
前回、シクロファンは他の小分子を取り込む「ホスト分子」としての研究が行われていると記しました。しかし研究の進展につれ、単に見境なくいろいろな化合物を捕まえるというだけでない新たな機能が開発されつつあります。
例えばいろいろな化合物が混ざっている中から、一つの化合物だけを見分けて捕まえるシクロファンが作られています。下の分子はテレフタル酸という化合物だけを似たような分子の中から見分け、内部に捕まえることがわかっています。テレフタル酸についている2つのカルボン酸(マイナスの電荷を持つ)にフィットする距離に、プラスの電荷を持つアミン部分(青色)を配置したのが高い認識能力の決め手になっています。
下の分子はバルビツール酸という分子を見分け、内部に捕獲します。6ヶ所の水素結合によってしっかりとゲストを認識して捕まえるため、ちょっとでも違った構造を持つものを受け付けない、精度の高い認識能力を持ちます。
下左のシクロファンはサイズがリチウムイオン(緑)と結合するのにぴったりのサイズに設計されており、他のイオンを全く受け付けません。これをさらに進歩させ、リチウムと結合すると色が変わる原子団を組み込んだものが下右の分子です。他のイオンに反応せず、リチウムがあるときにだけ発色するセンサーとして使えるでしょう。
余談ながら、海水にはごく低濃度ですが金が溶け込んでいます(東京ドーム5杯分の海水に1g程度の量)。しかし海水の量は莫大なので、海に溶けている金を全部集めれば約50億トンにもなるのだそうです。もしリチウムでなく金だけと効率よく結合する化合物を設計できたら、海水中の金を抽出してそれこそ世界経済を支配できるほどの大金持ちになれる可能性があります。一生をかけてチャレンジしてみる価値がありそうですが、やってみる方はいないでしょうか(笑)?
例えば下に示す大型のシクロファンは、長方形の内部空間にトレハロース(黄色)などの比較的大きな分子を捕まえることができます。変形しにくい堅固な構造のため、他の小分子と厳密に見分ける能力を持ちます。
Baxterらによって報告された下のシクロファンは、銅イオン(紫)が取り込まれることによって大きく色を変えます。これは全体が共役系としてつながっていることに起因するものでしょう。
さらに大きなシクロファンもいろいろと合成されています。下のものはなんと304員環のシクロファンということになります。
ベンゼン環とアセチレン(三重結合)がパラ位でつながったシクロファンも小田らによって合成されています。この空洞はフラーレンにぴったりのサイズで、実際にもC60がこっぽりとはまり込んだ土星を思わせる錯体を作ることがわかっています。シクロファンもフラーレンもどちらもベンゼン環からできていますので、相性よくお互いを引きつけあうからでしょう。
この他「カリックスアレン」と呼ばれるお椀型をした化合物群も、フラーレンを内部に捕まえた錯体を作ることが知られています。カリックスアレンもまたシクロファンの一種に分類される化合物ですが、大量合成や加工がしやすく、いろいろと面白い性質を示すため数多くの研究がなされています。こちらはそのうち項を改めて紹介することにしましょう。
フラーレンを捕まえるだけでなく、フラーレンに化けてしまうシクロファンもあります。以前、三重結合を多く含むシクロファンに、レーザーを当てることによってフラーレンを作り出すRubinらの研究を紹介しましたが、戸部らもこうした手法でC36、C78などを検出することに成功しています。レーザーのエネルギーによって塩素原子がちぎれ飛び、複雑な転位の過程を経て最も安定なフラーレンの形態に落ち着くのでしょう(といってもC36の場合純粋に単離できるほど安定ではなく、ごく短時間存在するのをMSという機械で検出する形になります。このあたり研究機器の進歩のなせる業といっていいでしょう)。
不完全ながら、シクロファンのいろいろな姿と使い方を概観してきました。化学者たちは目に見えないほど小さな分子を自在に操り、驚くような仕事をやってのけます。分子を折り曲げ、包み込み、選び取る。シクロファンの化学からは、分子を友とし、分子と親しみ、分子と格闘する化学者たちの姿が見えてくるような気がします。