世界を変えた化合物(3)・フェノール 〜ジョセフ・リスターの奇跡〜


フェノール

 「帰ったら石けんで手を洗いなさい」と叱られた記憶は誰にでもあるだろう。今や「清潔」「衛生観念」の重要性は人々の間に行き渡り、ごく当たり前のことになっている。が、最も清潔が必要とされるはずの医療の現場で、消毒の習慣が定着したのは思ったほど昔のことではない。「消毒」の重要性が認められるまでには、長い歳月と多くの努力が必要であった。

 史上初めて手洗い・消毒の重要性に気づいた人物は、ハンガリー出身の医師イグナーツ・ゼンメルワイスであった。彼は産褥熱(出産の際の傷から細菌が侵入して起こる感染症)の発生率が、同じ病院の2つの棟で10倍も異なることに気づいた。調べた結果、両者の違いは出産を担当するのが医師か助産婦かだけであった。当時、医師たちは死体を解剖した後でも手を洗うことなどせず、そのまま出産に立ち会っていた。ゼンメルワイスは死体からの何らかの病毒が医師の手を経て妊婦に移り、産褥熱を発生させているのではと推測した。まだ病原菌という考え方がなかった時代、彼の発想は画期的だった。


イグナーツ・ゼンメルワイス(1818-1865)

 彼は早速学生たちに、手を塩素で消毒して爪の間までブラシで洗うことを命じた。入浴の習慣さえなかった当時の学生たちはこれに抵抗したが、ゼンメルワイスは彼らを怒鳴りつけてこの習慣を徹底させた。
 効果はてきめんだった。手洗いを始めてから数ヶ月のうちに、産褥熱は10分の1に激減した。1861年、彼はこの結果を論文にまとめて発表したが、学界からは猛反発を受けた。ゼンメルワイスの説を認めるということは、今まで彼ら医師自身が妊婦を死に追いやっていたことを認めることであり、これは何が何でも避けねばならない事態であった。
 中心となってゼンメルワイス説を攻撃したのが、「病理学の法王」とまで呼ばれたドイツ医学界の権威ルドルフ・ウィルヒョー教授であった。彼はゼンメルワイス説には根拠がないとしてこれを全面否定し、手洗いの禁止通告を出した。しまいには「血で汚れた手術衣は医者の誇り」とし、その洗濯まで禁止するほどであった。しかしゼンメルワイスの言う通りに消毒をしたところ産褥熱が激減したのを知り、責任を感じて自殺する医師も出るなど、実際には彼の正しさは揺るがぬものであった。


ルドルフ・ウィルヒョー(1821-1902)

 ゼンメルワイスはウィルヒョーの圧迫によってウィーンを追われ、故郷のハンガリーに戻る。しかし自説を認められなかった悲しみから彼はやがて精神を病み、入院することになる。ここで彼は傷口から細菌が入り、皮肉にも産褥熱と同じような症状を発して死亡した。医学の発展に貢献し、多くの命を救った医師の、あまりにも悲劇的な死であった。

 細菌が人体に入り込んで病気を引き起こすことが判明するのは、ゼンメルワイスの死後になってからのことである。この説を提唱したのは、フランスのルイ・パスツールである。しかし彼はそこら中にいる細菌が病気の元と知って以来、病的な潔癖症になった。皿やグラスの汚れに異常に神経質になり、人と握手するのさえ嫌がったというから、不潔恐怖症の第1号患者はこの偉大な科学者であったということになる。どうやら知らぬが仏ということも、世の中にはあるらしい。


ルイ・パスツール(1822-1895)

 初めて実用的な消毒法を発表したのはイギリスの医師ジョセフ・リスターで、1865年のことであった。彼はパスツールの病原菌説を論文で知り、何か細菌を殺す物質はないかと考えていた。ある日彼は、石炭産業の副産物であるフェノールをドブ川に流すと、悪臭が消えるという新聞記事を発見した。「これだ」と直感した彼は、早速傷口を包む包帯や医療器具をフェノールで殺菌することを試み、劇的な効果を挙げた。当初ウィルヒョー一派による妨害もあったが、彼の方法が効果を挙げるにつれて反対論も徐々に止んでいった。ここに至り、ようやく人類は化膿と敗血症の恐怖から解放されたのだった。
後にリスターはイギリス国王エドワード7世の虫垂炎手術に指名されるまでになり、この成功によって男爵位を受けている。なおウィルヒョーの方は、自分が間違っていたと知ると政治家に転身し、上下水道の建設に努めるなど公衆衛生の改善に力を尽くしたという。


ジョセフ・リスター(1827-1912)

 フェノールには毒性もあるため、現在では安全性の高いエタノールやクロルヘキシジンなどが用いられるようになっている。ちなみに口腔洗浄剤として有名なリステリンは、リスターの名にあやかったものだ。ただしフェノールなどの殺菌剤が入っているわけではない。


クロルヘキシジン

 彼らの努力で消毒法は普及し、衛生観念も100年前に比べて飛躍的に高まった。現在では抗菌・除菌グッズがそこら中に溢れ、人々の清潔志向はやや過剰といえるところまで来ている。消毒の普及のために身命を賭したゼンメルワイスやリスターがこれを見たら、果たしてどのような感想を漏らすのだろうか。


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