天才の業績というものは、後世の人が見ると本当の凄さがわかりにくいことがままある。あまりにもシンプルに物事の核心を捉えたアイディアというものは、まるで以前から誰もが知っていた、ごく当たり前なもののように感じられてしまうらしい。福井謙一博士の「フロンティア軌道理論」は、まさにそんな例だ。

この世は化学反応で動いている。物が燃えるのも我々の生命活動も、全ては原子と原子が結合し、切り離される過程の積み重ねだ。では化学反応とは何で、いつどこに起こるのか?原子と原子を結びつけている電子の振る舞いがわかれば、あらゆる化学反応は説明できるはずだ。例えば、電子の密度によって反応性を予測する理論なども提出されたが、これで説明のつかないことも少なくなかった。

福井博士は一見化学とは縁遠い、量子力学を武器にこの根源的な問題に挑んだ。博士の理論は、分子に含まれる電子全てを考慮する必要はなく、反応に参加しうる最前線(フロンティア)にいる電子だけを取り上げて考えるというものだった。この単純にして明解なアイディアは、見事に多くの事実を説明した。

この理論は後にロアルド・ホフマンによって展開され、二人は1981年のノーベル化学賞を分け合うこととなった。化学反応論の基礎を築いたこの研究は、理論化学の金字塔として今なお光り輝いている。


 将来は研究者になり、新しいプラスチックを作り出したい――。中学の卒業文集にこう記した少年は、25年後に電気を通すプラスチックを開発、半世紀後にノーベル賞を獲得した。白川英樹博士ほど、少年の日の夢を見事に叶えた人はいない。

 常識を破る導電性プラスチックの正体はポリアセチレンと呼ばれ、炭素鎖の上下にπ電子という余分な電子がずらりと並んでいる。ここにヨウ素などを加えるとπ電子が部分的に引き抜かれ、隙間が空いて電子が流れるようになる。これが導電性プラスチックの原理で、携帯電話の電池などの他、太陽電池や有機ELなど先端材料にも不可欠だ。

この開発には、ひとつの偶然があった。当初、ポリアセチレンは黒い粉末としてしか得られず、性質はよくわかっていなかった。しかしある日、白川博士のもとに来ていた留学生が誤って触媒を1000倍も加えてしまい、偶然に扱いやすいフィルムができたのだ。この幸運なくして、恐らくノーベル賞はなかった。

ただし、大発見は偶然だけでつかみ取れるものではない。この現象がなぜ起きたかを解明し、自分のアイディアを加えて展開と応用を図れたからこそ、画期的発明はなされた。偶然の幸運を掴むには心の準備が必要というが、それを本当に活かしたのは白川博士の経験と実力、そして地道で膨大な努力だったことは忘れてはならないだろう。


 分子の中には、二種類の立体構造を持つものがある。両者は、ちょうど右手と左手のように、鏡に映した時だけ重なり合う関係にある。

 右手型と左手型の分子は、融点・沸点・見た目などは同じだが、人間の体にとっては全くの別物だ。香りや味が違うものもあるし、両者で全く違う作用を示す医薬品もある。左右の区別が、合成化学にとって重大なテーマであるゆえんだ。

 しかし分子は人間の目にはとても見えないほど小さく、両者を作り分けるなどは不可能と思われていた。これを実現したのが、野依博士の業績だ。特に博士の開発したBINAPという触媒は、1分子が100万倍もの必要な分子を完璧に作り出すという、途方もない性能を持つ。

 香料や医薬の大規模生産にBINAPは用いられ、これらは我々の暮らしにも浸透している。しかし何より、それまで不可能と思われていたことを完璧にこなすBINAPの出現は、有機合成の考え方を変え、学問全体の水準を引き上げてしまったといえる。

 BINAPは、できてみるまで本当に触媒として機能するかは誰にもわからなかった。しかし博士は執念でこの研究に取り組み、6年がかりで完成させた。この粘りを支えたのは、BINAPの美しさに惚れ込み、これなら凄い機能を発揮するに違いないという思い入れだったという。一人の美意識は、時に科学を変え、産業を変え、社会を変えてしまうこともある。


 「はかる」ことは、科学の極めて重要な要素だ。新しく何かを発見しても、その量、重さ、構造、成分などがわからなければ、研究は先に進めない。優れた計測手段を開発することは、科学に新たな翼を与えることに他ならない。

 タンパク質やDNAの分析は生化学にとって何より重要だが、分子のサイズが非常に大きいため、かつては計測が極めて困難だった。田中耕一氏の業績は、これら生命の鍵を握る物質群の重量を測る(質量分析)ための、画期的な手法を編み出したことだ。

 質量分析の手法として、物質をイオンにして飛ばし、その飛距離から質量を割り出す方法がある。しかしタンパク質のような巨大分子はイオン化の際に壊れてしまいやすく、そのままでの分析は不可能と思われていた。

しかし田中氏は偶然の失敗から、タンパク質を壊さずイオン化する手段を見出した。実験の際に間違って混ぜてしまったグリセリンとコバルトが、タンパク質を保護していたのだ。この方法で、数十億分の1g程度の量しかないタンパク質さえ分析が可能になり、生化学研究、病気の診断、犯罪の捜査などにも広く応用されている。

 企業の研究員、受賞時43歳という年齢、博士号を持たない点など、田中氏の経歴は歴代受賞者の中でも異彩を放つ。現代の科学を静かに支えているのは、氏のような卓越した技術者の存在に他ならない。


 ミクロサイズの細胞の中で、一体何が起きているのか?生物学者の知りたいことはこの一言に集約される。しかしかつては、細胞をすりつぶして中の物質を取り出し、その働きを一つ一つ調べることが精一杯だった。精巧な時計を分解して歯車やバネの働きを調べるだけのようなもので、時計が動く仕組みの解明にはほど遠かった。実際に生きた細胞の活動を見たい、というのが生物学者の長年の夢だったのだ。

 下村博士の功績は、クラゲから光るタンパク質GFPを発見し、この夢の実現への道を拓いたことだ。目的の細胞内でGFPを作らせるよう細工すると、紫外線照射で緑色に光り、内部の動きが手に取るように見える。がん細胞の転移の様子もわかるようになったし、iPS細胞などの重要な発見もGFPなしにはありえなかった。

 もっとも、下村博士自身はこうしたことを意図していたわけではない。博士が目指したのは純粋にクラゲの発光原理の解明であり、そのために17年をかけて85万匹のクラゲを用いた、壮絶な実験をこなしている。その過程で発見されたGFPが、たまたま細胞観察に応用可能であったために、生物学の革命は起きたのだ。

 目の前の、いま重要に見える課題に取り組むだけが研究ではない。一見すぐには役立たないような基礎研究の厚みなくして学問の進展はないということを、この事例は雄弁に教えてくれる。


 記憶に新しい2010年のノーベル賞は、「鈴木-宮浦カップリング」開発の功績による。炭素同士をつなぐ反応は有機化学の最重要課題であり、多くの研究がなされているが、鈴木-宮浦カップリングはその圧巻と評される。自然界に類似の原理がない、純粋に人類の英知が編み出した反応の最高傑作だ。

 根岸博士は亜鉛とパラジウムを用い、優れた炭素-炭素結合形成反応を発見した。そして鈴木博士が見出したのは、亜鉛の代わりにホウ素を使っても反応が進行するという事実だった。この一見何でもないような差は、化学の世界に大きな飛躍をもたらした。

 有機亜鉛化合物は、空気に触れただけで発火する大変使いにくい試薬だ。これに対し有機ホウ素化合物は安定で、空気中や水中でも全く問題なく扱えるし、毒性の廃棄物も出ない。このため工業規模でも安全に使うことができ、現在では医薬・液晶材料・半導体などの製造に欠かせない反応となった。その合計売り上げは、軽く年間数千億円の規模に達する。

 鈴木博士の発見は、ホウ素化学の大家であるH. C. ブラウン教授の下に留学し、ホウ素の性質を熟知していたことが大きい。ブラウン教授は、根岸博士の師でもある。師のホウ素化学を受け継いだ鈴木博士と、あえて違う道を行った根岸博士が同時受賞に至ったのは、奇縁でもあり、必然でもあったのだろう。


 根岸博士の歯切れよく明晰な語り口からは、常に研究への情熱が迸り出る。その溢れるエネルギーは、有機化学の世界で見事に開花した。

 食物・木材・プラスチック・医薬など、我々の身の回りの重要な化合物は全て「炭素」が基本骨格を作っている。こうした化合物を自在に作り出す学問が「有機合成化学」であり、中でも炭素と炭素をつなぎ合わせる方法の開発は最重要テーマとなる。

 分子Aと分子Bをつなぎ合わせようとしても、やり方によってはA-AB-Bができてしまい、ほしいA-Bだけを作ることは意外に難しい。根岸博士のノーベル賞は、このA-Bだけを作り出す手法「クロスカップリング」開発への、大きな貢献が認められたものだ。

 根岸博士は、それまであまり注目されていなかった、金属元素の力を有機化学に取り入れた先駆者の一人だ。数十種類ある金属元素を2種類組み合わせれば、数千通りの可能性が引き出せる。このアイディアに基づいて探索を重ね、亜鉛とパラジウムを用いることで効果的に炭素-炭素結合を作れることを発見した。「根岸カップリング」と呼ばれ、医薬品合成などに用いられる重要な反応だ。

 根岸博士は、76歳の今も研究現場の第一線にあり、CO2を資源として生かす全く新しいテーマ「人工光合成」に取り組もうとしている。その情熱は、なお衰えるところを知らないようだ。


こちらは2011年の「世界化学年」パンフレット向けに執筆した文章を再録したものです。

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