Molecule of the Week (55)

Ginkgolide A

 天高くまっすぐに幹を伸ばし、秋になると黄色い葉と、臭いもきついけれどおいしい実を落とす――。イチョウの木は、我々日本人にとり街路樹として最もなじみ深い木の一つです。しかしよく考えてみれば、あの扇形の葉といい、葉脈や樹皮の形状といい、どれをとっても他の木と似たところのない、何だか不思議な木でもあります。

実はイチョウの木というのは生物学的に見て類縁の種がない一属一種の非常な珍奇種で、その起源はなんとジュラ紀(約2億年前)にまで遡ると言われます。そのころには全世界に分布していたものが中国の一部にのみ細々と生き延び、近代になって再度世界に紹介されて広まった、まさに「生きた化石」といっていい存在なのです。

 さてそのイチョウの根皮から得られるエキスが、血液をサラサラにする効果があるとして現在注目を集めています。その有効成分のひとつが、ここに挙げたギンコライドです。6つの5員環が複雑に縮環した珍しい骨格で、tert-ブチル基(上図左方)というのも天然物においては他におそらくほとんど例がないユニットでしょう。生合成ルートも他のテルペン類とは全く違っていることが確認されており、まさしく太古の化合物にふさわしい極めて特異な分子といえます。

 ギンコライドの構造決定は古く、1967年に中西香爾(現コロンビア大学教授)らによってなされました。複雑奇妙な骨格のため研究は難航し、努力と偶然によっていくつもの難関を乗り越えた、実にドラマチックな研究であったということです。現在化合物の構造決定において重要な手法となっている「NOE」という効果もこの過程で見つかった現象だということで、難易度の高い対象に挑むことによって技術は磨かれてゆくという好例といえるでしょうか。

 ギンコライドには血流改善の他、記憶力増進、アルツハイマー病防止などの効果もあるといわれています。しかし最も不思議なのは、なぜイチョウがこんな化合物を作り出しているのか、という点でしょう。「自然食品」「天然成分」の愛好家たちは「大自然が用意してくれた、人類への恵み」といった言い方を好みますが、筆者はこうした見方に与しません。実際イチョウエキスは「自然の恵み」であるギンコライド類だけでなく、ギンコール酸などの毒物も含有しています。

 結局大自然は毒も薬もありとあらゆる化合物をわけへだてなく作り出しており、その中から人間が自分に都合のいい化合物を選り分けて使っているに過ぎないのでしょう。全てを包含する大自然が、たかが人類のためにわざわざ何かを特別に用意してくれているなどは、単なる思い上がりでしかないように思います。人類が文明を持つ前も、地球上にいなくなってからも、イチョウはギンコライドを、トリカブトは猛毒を、ただ淡々と作り続けるだけでしょう――。

 参考:有合化 58, 462 (2000) 「太古の化合物ギンコライドの周辺」(中西香爾)

 

 今週の分子バックナンバー

 有機化学美術館トップへ