☆明治と平成の天城越え(R414・静岡県河津町)

 現代では関東近郊でも屈指の観光地となっている伊豆半島ですが、山が海に迫る急峻な地形のため、半島南部は明治中頃まで事実上の陸の孤島となっていました。このため明治政府は市民の願いを容れ、現代で言えば数億円に相当する巨費を投じて天城峠越えのルートを切り拓きました。こうして開通したのが旧天城トンネルで、1905(明治38)年に完成しています。川端康成の名作「伊豆の踊子」はこのトンネル出口にあった峠の茶屋が舞台となっています。

 実はこの旧天城トンネルは現在でもほぼ当時のままに保存されており、通行も可能です。国道から脇の旧道に入り込むと、細くて荒れた未舗装の道路が現れます。

当時の風情を伝える路面。走行は大変だけど。

 車が埃だらけになるほどの砂利道を走ることしばし、トンネルに到着。

1台分の幅しかないため、先に入った者優先となっている。

 トンネルは当時の技術の粋を結集したであろう、極めて重厚な造りになっています。当時の交通事情にあわせて造られているため幅などは狭いですが、一世紀近くを経過した現在も十分通行に耐えます。現在旧天城トンネルは重要有形文化財、また「日本の道100選」に指定されています。面白いことにこの荒れたダートの道は、つい最近までR414として現役の国道扱いをされていました。

 さてこの難所である天城峠を、現代の技術はどう解決しているか。旧天城トンネルから4kmほど南に下ったところにそれは現れます。

くるくると3回転するループ橋、「七滝高架橋」。

 山の中に突如半径40mのらせん状の道が現れ、ぐるぐると3周回転することによって高低差を稼ぎ、峠をクリアーします。東日本では最大級のループ橋だそうです。

下から見たところ。よくこんなもん作ったな。

 旧道のガタガタ道を走った後にこのループを走ると、現代技術のありがたみを痛感します。明治には明治の、現代には現代の最新工法が投入されたこの峠は、通行する人々とともに、技術者達の大いなるロマンがこめられた道でもあります。

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