☆DNAの鋏〜抗がん剤カリチェアマイシン〜


 1981年、ある種の石灰岩に住む細菌から極めて強力な抗ガン物質が発見され、カリチェアマイシンと名付けられました。通常使われている抗ガン剤の3000倍というその強烈な活性もさることながら、その構造は天然物有機化学者を驚かせずにはいないものでした。酸素-窒素結合、チオエステル結合、トリスルフィド(3つの硫黄原子がつながった構造、中央上)など珍しい結合を含んでいるのもさることながら、真に驚くべきはそのコア部分(図の上部)の構造でした。10員環の中に2つの三重結合と1つの二重結合を持ったこの骨格は高度にひずんでいてかなり不安定であり、今まで発見あるいは合成されたどんな分子にも似ても似つかないものでした。カリチェアマイシンの強力な抗ガン活性はこのコア部分によるものだろうとは予想されたのですが、解明されたその機構は世の研究者たちをさらに驚かせるものでした。

 そもそも抗ガン剤とはどのような化合物なのでしょうか。ガンは細胞がその制御を失い、無制限に増殖してしまう病気です。従って細胞分裂を止めることのできる薬剤があれば、少なくともガンの進行を食い止めることができます(ただし、現在の技術ではガン細胞のみに抗ガン剤を作用させるのは難しく、どうしても全身に影響が及びます。そのため細胞分裂のさかんなところ、例えば毛根にもダメージを与えてしまいます。抗ガン剤の副作用で髪の毛が抜けるのはそのためです。)。

 細胞の分裂を止めるにもいろんな手段がありますが、一番直接的なのはDNAを破壊することです。DNAは細胞、ひいては生命の設計図ですから、これを壊されてしまえば細胞はコピーを作り出すことが不可能になります。カリチェアマイシンはこのDNAを極めて効果的に切断する分子なのでした。

 カリチェアマイシンが細胞内に入り込むと、まずその糖鎖部分(上図の下方の5つの6員環)がDNAの特定の配列を見つけだして巻きつきます。つまりこの糖鎖は眼、あるいは腕にあたる部分といえます。さて首尾よくDNAにとりついたカリチェアマイシンは早速破壊活動を開始します。まず、3つの硫黄原子からなるトリスルフィド結合がDNAと反応して切断され、活性な硫黄原子が浮いた状態になります(1→2。コア部分のみを示す)。この硫黄原子がスイッチとしての役割をはたします。

 この硫黄原子は分子内で環を巻くように反応します(Michael付加。2→3)。すると分子全体のひずみが高まり、このひずみを解消するためにBergman反応を起こします(3→4)。これはエンジインがベンゼン環に変化する反応で、その時にラジカルと呼ばれる非常に反応性の高い化学種が発生します(黄緑色で示した)。この2つのラジカルがDNAの2本の鎖をまとめて叩き切るというわけです。

 というわけでカリチェアマイシンは鋏などというより、DNA鎖を見分けて取りつく「腕」、目標にくっついて初めて起動する「トリガー」、すっぱりと2本鎖をまとめて切り飛ばす切れ味鋭い「2枚刃」を備えた、高性能な分子機械と言えます。この「2枚刃」というところが重要で、1本だけを切ってもDNAは修復酵素によってあっという間に修理されてしまいます。DNA修復酵素は大切なDNAを守るための驚くべき身体の精妙な仕組みの一つですが、カリチェアマイシンの機能はそれをさらに上回る自然の驚異と言えます。

 それにしても、カリチェアマイシン産生菌はなぜこのような分子を作っているのでしょうか。当然ただの伊達や酔狂、偶然ではありえません。DNAを破壊するというのは、細菌相手であればその菌を殺すということになります。おそらくこれはカリチェアマイシン産生菌が、ライバルとなる他の菌を倒すために長い年月をかけて編み出した化学兵器です。もちろん自分たちはカリチェアマイシンにやられないようなんらかの防備をしているのでしょう。その化合物をたまたま人間が取り出し、ガンにも効くということを発見したわけです。

 ただ、この化合物自体は毒性が強すぎ、残念ながら薬にはなりえません。しかし、このエンジイン構造をうまく生かしつつ、毒性の低い抗ガン剤を作り出そうという試みは現在の有機化学の一つのトレンドになっています。まだまだ人類が自然に学ぶことは数多くあるのだ、ということをカリチェアマイシンは改めて教えてくれている気がします。

 

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